昨日、川崎市外国人市民代表者会議のオープン会議を開いた。社会生活部会の部会長として、私が分科会の会議を司会進行することになったが、オープン会議で代表者が原則として意見を言わないので、司会や記録などの役をしない代表者には楽な会議になるだろう。だが、司会者になる代表者には、努力する必要がある。
特に社会生活部会はそうだった。川崎市外国人市民代表者会議に反対する団体の人がオープン会議に来てくれたので、会議の行動や存在に反対する意見も述べていただいた。敬語を使ったら、皮肉っぽく見えるかもしれないが、そういうつもりはない。民主主義や言論の自由を尊重する先進国でオープン会議で反対の意見を聞くことは当たり前だ。同意しない意見を封じようとしたら、言論の自由が意義を失う。そして、殆どの方がルールをちゃんと守ってくれた。例えば、発言する前に手を挙げて、私の指名を待ってくれたし、発言を短くしてくれた。そして、私が「ここは議論の場ではないので、この話題から移りたい」と言ったら、それを素直に受け止めた。一人が叫びながら自分の意見を強調しようとしたが、事務局の方に抑えられて、退室してもらった。
ここでも、反対する方法についても学べる。叫んだら、退室させられるし、残る印象は良くない。一方、いつも落ち着いて意見を述べた方は、最後までいたし、賛成できる点もちゃんと受け止めてもらえたと思う。例えば、図書館で買った本の種類を、川崎市の外国人市民の現実に合わせた方がいいという意見とか、調査で現状の統計を集めたほうがいいとか、そして日本に住もうとしたら日本語を学ぶのは当たり前などのような意見は、どなたが述べても説得力がある意見だと私が思う。
実は、「さすが日本」と思った。反対運動をしても、迷惑にならないようにルールに従う人は多い。暴力は愚か、乱暴な言い方にも殆ど及ばなかった。これで革命にならないと批判する声もあるが、私が思うのは、革命で滅ぼされたことは、革命で得たことより価値がある場合は多いということだ。だから、改革などのより穏やかな変更のほうがいいと思う。日本らしい議論方法でこのような穏やかな変更の可能性は高いと思った。これはやはり日本の魅力的な点だ。
結局問題ではなかったが、空気には緊張感が流れたので、司会者として疲れてきた。会議の後で開かれた交流パーティで、端っこになって、座ることにした。夜に12時間も寝てしまったので、やはり力を沢山費やした。だが、それも悪くない。代表者として責任があるし、その責任の一つは、他の人と対応することだ。
そう言えば、事務局の方の対応も感動的だった。問題が起こらないように日曜日に会議に来てくれた公務員は多かった。結局私の予想の通り展開したので、警備はそんなに必要ではなかったが、事前にそのことが分からないので、何になっても対応できるような整備に感謝する。事務局の方も、「応援団」の方も、ありがとうございました。