大山街道:二子玉川〜長津田

普通の川崎の町並み
馴染みの溝口駅南口を別な方向で通った
一昨日また大山街道を歩いた。元々の計画は、今年以内大山まで歩くことだったが、引っ越しがあったので春にできなかった。そして、夏は猛暑だったので長い散歩には相応しくなかった。秋になったら、イギリスやアメリカから家族が来てくれたので一人で散歩に出かけるわけにはいかなかった。要するに第二弾が一昨日まで延期されてしまった。ガイドブックによると、二子新地から長津田まで19.3キロだそうだが、私が二子玉川から始まったし、前後に溝の口まで歩いたので、25キロ以上歩いたと思う。やはり家の前の坂は辛かったので、今の状態でこれは限界かなと思った。もう少し体力を鍛えないと行けないね。幸い、天気に恵まれたので気持ちよく散歩できた。夕方になったらちょっと曇ってきたし、冬だから暗くなったが、長津田駅まで明るくて暖かかった。だから、条件が揃った。では、散歩の内容について書こう。

下から仰ぐ馬絹大塚
馬絹大塚は、丘なのに見つけにくかった
大山街道の時代に多摩川には橋はなかったので、二子橋を渡ることは、昔の経験と大部違っただろう。しかし、街道自体が東京、川崎、横浜を通るので、昔の面影が残るところは少ない。上の溝口駅周辺の写真が風景を代表するので、現代の普通の町並みを見る機会は多かった。それに、大山街道のこの部分が私たちの家に近づくのでもう馴染みになったところも多かった。写真は、溝口駅に行く度に渡る交差点だ。十字路で、現在のバス通りで私がよく使う道が大山街道を渡るところだ。だから、身近な風景であると言っても、不慣れな方向から見えた。同じように宮前平駅の前も通ったが、それも普通に行く道と違った。つまり、私が住んでいる街を別な視点から見ることができたので、川崎を感触した。

緑に囲まれた小さい池の上に不動の石像が立つ
マンションに向かった霊泉が湧いた
現代の町並みである物の、昔の面影が残るとこも点在する。馬絹大塚はその一つだが、最初は探しても見つけられなかった。小高い塚だから、ガイドブックの案内に従うとすぐに見つける筈だと思ったが、そうではなかった。結局iPhoneでグーグルの地図や航空写真を使って、塚を見つけた。ところで、iPhoneの地図は本当に便利だ。現在地が指摘されるので、目印が見えない場合すぐに位置を確認して、自信を持って散歩を続けることができる。ガイドブックの案内はいいが、ややこしい交差点などで三回ぐらいiPhoneで案内を補足した。

宮前平駅を過ぎたら、旧ルートとちょっと違う方向で現在の道が進むが、小高い民家がまだ大山街道に沿った配置を取って、現在の道路に斜めになった。このような面影は少なかったが、不動尊の霊泉の滝は特に印象強かった。住宅地の中で、最近のマンションに向かう斜面に水道管から滴るお水があって、柄杓も供えたし、池の上のみどりの斜面に不動尊の小さい石像が立った。写真で見えると思うが、本当にこじまりだったのに、周りの雰囲気と対照的だった。実は、このような石像はかなり多かった。特に庚申塔は五つか六つぐらい見えたし、地蔵尊も四組ぐらいだっただろう。馬頭観音もあった。これはやはり旧街道の証拠になる。昔の旅人の為に設けられた石像が今静閑な住宅地の中でぽつんと存在する。

町並みや電線の向こうに雲の下の山が見える
大山街道から見える山は大山かな
理由は同じかもしれないが、街道に近い神社も少なくなかった。神社の紹介は、一つずつするつもりだから、後日にアップする。

夕方になったら、道が高いところを通って、夕日に照らされた山が前に見えてきた。これもうしかして大山かと思ったが、どうかな。形が似ているし、位置は勿論大山街道の向こうにあるので、確率は高いだろう。建物の間から見える山は、昔旅人の目の前に聳えたのだろう。道の形が完全に変貌した中で、大山自体があまり変わっていないのではないか。昔と共通する経験はまだまだある。


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