無駄遣いの削減

無駄遣いの削減はよく唱えられている。与野党が一致して、メディアでも必死だ。「だからこそ」と言ったらへんだろうが、私が慎重に思う。

確かに、完全な無駄遣いがあれば削減すべきだ。例えば、完了が一万円札を箱に詰めて、崖の上から海に投げ捨てたら、それを止めさせなければならない。同じように、トイレの壁紙として一万円札を使ったら、それもNG。しかし、さすがに日本の官僚でも、このような無駄遣いをしないと信じる。

むしろ、無駄遣いというのは、不要な道路を始め、必要はない施設を設立することを指す。不要な公共事業は主な形なのようだ。だから、工事に人を雇うことがあると思わざるを得ない。乱れに”無駄遣い”を削減したら、その人が失業する。そして、地方で行われる公共事業であれば、村の共同体の経済的な支柱が無くなる可能性も見逃すわけにはいかない。危機の解決の巽を弱者に背負わせない方針に背く恐れを認めざるを得ない。

一方、S&Pの信憑性はともかく、財政危機は現実だし、美しい日本をコンクリートに葬る方針を永遠まで続けるわけにはいかない。だから、どうしたらいいのだろう。

ここで具体度がちょっと足りないが、それは政策が対象地域に合わせる必要があるからだ。先ずは、一年間で地元の人を一人か二人不要の公共事業から転職させて、その地域に相応しい経済的な支柱になりそうな産業を検討させる。このことに、プロのサポートやフォローも必要だが、中心を地元の人にすることは重要だ。東京に強いられた解決策に抵抗感が湧いてくるからだ。

そして、二年度目に、指摘された産業に必要になる能力を身につける為に、地元の人を雇う。要するに、授業料も生活費も政府が出す。この財源は、公共事業の削減から取る。養成を受ける人を建設などから解雇するので、財源が得られる。適切な産業といえば、農業も観光も入ると思えるので、農場の効率を増す技術を研修することや民宿の経営に必要な衛生などに関わる技術の研修も思い浮かぶ。しかし、それだけではないと思う。どんな地域でも人材を活動させて、経済的な基盤を多種多様にする方針をとったほうがいい。

さいごに、三年度目に、技術を得た人に無利息の融資を提供して、自立した小規模な会社の設立を促す。大手会社がコスト削減のためにリストラする恐れがあるので、地元に限る会社を対象にするべきだと思う。

四年度目から公金の援助が終わるので、ここの原則の5年間以内成果が期待できる。

では、背景はいかがだろう。必要な財源はあると思った方がいい。なぜなら、公共事業を削減しても、サポートするプロの人件費も必要になるし、授業料と生活費の合計が給料と経費の合計を上回る可能性もある。しかし、必要な財源の大半を公共事業の削減から得るとも思えるので、大きくないし、それに四年度目から政府の出費が急に減る。

そして、反発の問題だ。対象の地元には反発はあまりないと推測する。地元の人たちが選んだ産業を興すために政府が援助することだし、地元の人も不要な道路を別に欲しくないはずだ。仕事が欲しいが、環境破壊せずにできれば、そのほうがいいだろう。

予想する反発は、官僚の一部のみだ。なぜなら、財源が先ず省庁の間に移るので、予算を失う省庁が猛烈に反発するだろう。予算を受ける省庁は大歓迎になることも予想し難くないので、特に為政者の資格はなくても、政治家がこれほどの反発を乗り越えられるだろう。今の官僚バッシングほどではないので、現在の政治家に期待しても、必ず失望に終わるとは限らない。

つまり、無駄遣いを減らす必要があるが、その削減の影響や波紋に配慮する必要があると述べたい。

宮前平の八幡神社

社殿が二つ横並ぶ。後ろからマンションが見下ろす大山街道が現在の東急田園都市線の宮前平駅の前を通るが、駅の向こうには一つの境内に神社が二つ鎮座する。一つは小台稲荷{こだいいなり}神社で、もう一つは八幡神社だ。狭くて険しい石段が商店街のビルの合間を縫って境内に上がるが、境内に至ってもマンションに見下ろされる。都市化の中で生き残る神社の典型例でもあると言えよう。大山街道の案内本によると、村の境界がこの石段の真ん中になったから村の鎮守の神社が並んで一つの境内にあったそうだ。この稲荷神社には代表する朱塗りの鳥居があるが、社殿は小規模で、ちょっと古い物で、彫刻も施された。社殿の上に屋根が設けられ、保存する為の装置に見える。社殿というより、木造の祠だというべきだろうが、少なくとも昇殿してお参りすることは物理的に無理だ。

険しい石段がにるの間を縫って境内に向かう隣にある八幡神社の社殿は新しくて、広い。拝殿の空間もあるので、お祭りの時に昇殿できるようだ。石段の下の鳥居の前にこの改築についての碑が立つ。それによると、この八幡神社は、明治43年(1910)に馬絹{まぎぬ}神社に合祀されたが、後でまた分け宮になったそうだ。いつまた独立したのかは、はっきり書いてないが、戦後になった可能性は高いと思う。即ち明治時代の神社統合令によって地元の人に篤く崇敬された神社がちょっと遠い神社に合祀されたことは多かったが、昔の状況を忘れずに復活を図った人もいたことが分かる。この事実を見つめると、明治維新から戦前の時期を神道の隆盛期として解釈するのは間違っていることが明らかになるのではないか。神道の一部が国家の支援を受けたといえども、他のところが絶対的な弾圧を受けたと言わざるを得ない。だから、神道指令を神道の弾圧ではなく、神道の解放として捉えることもできると私が思ってきた。

神社の改築は、平成7年に行われたそうだが、碑で使用した費用が明記される。一億三千八百万円に上ったそうだ。神社って、やはり高いよね。でも、ここで信仰の根強さも見える。一旦合祀でなくなった神社を復活させるために1995年になっても、地元の人々がこれほどを巨額を奉納したことが神社の地位を良く表すと思う。

碑で馬絹神社の宮司の名前が右に列することから、この神社はまだ馬絹神社の兼務社であることが推測するが、現代の社会の中で栄えている神社のように見える。

無罪判決と検察

最近『選択』の発行に追い付いて、1月号の記事を読んでいる。今朝読んだ記事は、検事総長の人事についてだったが、検察の問題を列挙する。その中、証拠改竄問題はもちろん挙げられたが、もう一つは「無罪判決」だった。ここで一切賛成できない。

無罪判決は検察の失敗ではない。捜査の後で不起訴にすることは益々失敗ではない。

先ず、捜査の結果で不起訴にすることは失敗ではないことは明らかだろう。捜査する前に疑いには現実があるかどうか分からないからだ。真偽を明らかにする為こそ捜査を行う。だから、社会問題は深くなければ、捜査の大半が不起訴で終わると思った方がいい。違法行為の疑いがあっても、実は合法だということは一般的になったら、それは問題ではないが、検察の捜査が無罪の現実を発掘することになる。

そして、捜査の結果で違法行為があった可能性は高かったら、裁判に持ち運んで、裁いてもらう。罪を判決するのは、検察ではなく裁判官や裁判員だ。だから、検察の義務は、無罪判決に終わるだろうと思われる事件を起訴することだ。そして、無罪判決になっても、検察側が自分たちの役割を果たしたともいうべきだ。だから、事件が無罪判決になることは、検察官の出世に妨げるわけにはいかない。

検察の唯一の明らかな失敗は、冤罪での有罪判決だ。だが、無罪判決が検察の失敗として評価されたら、本当の失敗を招くしかない。だから、この考え方は自然だといえども、極めて危うい態度だと思う。捜査で無罪な事実を証した検察に昇進と表彰を与えるべきだ。そして、起訴の場合、結果で評価するではなく、裁判が始まる前の段階で業務評価したほうがいいだろう。もちろん、裁判で検察の過失が明らかになったら別だが、単純に結局無罪になったら、評価を替えるべきではない。

検察官の宿命は、容疑者を克服することではなく、現実を明らかにすることだ。これを忘れてはならない。

所得税増税

人気のない政策だろうな〜

昨日米格付け会社のスタンダード・アンド・プーアズが日本の国債を格下げした。理由は、財政再建は2020年代半ばまで見通しはないということだった。厳しい判断だが、来年度二年連続に国債発行額が税収額を上回る異常な状態が進む中、合理性があることは否めない。だから、唯一の何より優先するべき問題ではないとはいえ、財政再建は日本の政府の急務であるのは明らかだろう。

歳出を削減する一方、造成することも必要だろう。私の考えは、財政再建の為に社会の弱者を犠牲にしないことは最優先するべく政策の分配に配慮しないといけないことだ。消費税は、収入の消費に使う割合が高い低所得者に特に重くなる現状に踏まえて、消費増税に慎重に思うが、小幅であれば必要だろう。併し、増税の支柱を所得税に置いたほうがいいと思う。

具体的に言えば、国民の内に一番低い低い年収を得る三分の一に税金の賦課を今のままにするべきだと思う。実は、減税には効果があるが、これほどの危機で減税しないほうがいいだろう。そして、真ん中の三分の一に税額が平均で5%で増えるように控除や税率を調整して、その上の六分の一に平均で10%で税額が増えるように、そして最上の六分の一に平均で15%で。(なお、税額をその率で上げる、税率を同じ率で上げることはない。中層の場合、今の税率は事実上20%程度だから、5%で上げたら、21%になる。)仮清算したら、所得税の収税が10%ぐらい増えるだろう。なぜなら、最上の六分の一の税額が最下の三分の一の税額を大きく上回るからだ。

これは財源だから、その面では問題はない。高所得者が強く反発することは予想できるが、低所得者や中層には強い反発はないだろう。後者は国民の大半だし、政治家の使命は、前に言った通り国民全体の利益を目指すことだから、この大半を味方にして高所得者の自己利益を守ろうとする運動を封じることができるだろう。ところで、国会議員が最上の六分の一に入ると思うので、自分が避ける犠牲を強いることはないため、アピールできるだろう。

確かにまだ不況だから、23年度に導入しない方がいいだろうが、24年度のために備えたほうがいいのではないか。財政再建を延期すれば延期するほど難しくなるので、なるべく早く着手すべきだ。