産霊〜創造

産霊を創造と成長の力として解釈することになったが、前回成長について論じた。だから、今回創造について語りたいと思う。成長と同じように、創造を広い意味で捉えたいのである。

最初に生物学的な創造は産霊の純粋な表れだと言わざるを得ない。人間と言えば、子供を産むことだ。大自然を考えたら、小鳥のひよこの誕生も、森が新しく生えることも創造で、産霊だ。確かに鼠などが産まれすぎたら問題になるし、地球の総合人口が高くて問題になっているのでこれより赤ちゃんを産まないほうがいいということもあるが、それはまた共存について論じる時に扱いたいと思う。ここで、とりあえず産むことに積極的な態度を取るべきだと主張したい。

ところで、ここでちょっと指摘したいことがある。性的な行為は、生物学的な創造と深く関わるので、それも基本的に肯定的に評価するべきだと思う。これもややこしくなりがちな課題だが、前提としていいことだと念頭において論じるべきだと述べたい。

さて、創造に戻ろう。私の解釈で、産霊が子を産む創造には限らない。創造には種類は多いが、そのすべてが産霊に含まれると思う。成長と同じように大別したら、作品、発明、施設の三つになるだろう。一つずつ具体的に紹介する。

作品の典型例として、絵画や小説を挙げよう。要するに美術や芸術で、想像のままで創造できることを指す。短歌や音楽も、書道も含まれている。そして、作品を広い意味で捉えるべきだ。公演や演奏も作品の範疇に納めたいと思う。なぜなら、小説や絵画の作品のように、人間の気持ちや概念を表現する行為で、何かを創造する行為でもあるからだ。曲の演奏も、作曲と同じように音楽の創造に欠かせないことだ。だから、芸能人は、自分の技を磨いて産霊の成長を尊崇する生活に加えて、公演などで産霊の創造も尊崇すると言わざるを得ない。この立場から考えたら、芸能人は卑しめる存在では全くない。むしろ、人生の中心に据えることに励んで、尊敬するべき存在であると言ったほうがいい。

発明と言うのは、ここで科学で新しい理論を作り出すことや技術を駆使して新しい機械などをだすことを指すようにする。作品と違って、人間の気持ちや概念を表現することではない。それより、自然に秘める潜在的な能力を導き出すことだ。だから、創造より発見として捉えることは多いかもしれないが、私が創造の一種として認める。機械の場合、これで頷いてもらうと思うが、物理学の理論は創造より発見であると思う人は少なくないだろう。ニュートンが重力を創造したとは言えないが、発見したと言えるのではないか。

確かに重力そのものは、人間が現れる前から存在した宇宙の基盤の一部だ。しかし、ニュートンの発明は重力そのものではなく、重力を理解する為の理論だった。そして、アインシタインの理論のお陰で、ニュートンの理論には間違った点があることが分かった。要するにニュートンが発明した理論は、事実の写しではなく、ニュートンが創造した事実を説明する発明だった。だから、私が科学の理論も創造の種類として認める。

でも、言っておきたいのは、科学なら何でもが創造の範疇に含まれると言うわけはないことだ。未知の動物を見つけて、学界に紹介したら、それは科学に大変貢献する行為だが、創造とは言い難いと思う。一方、この発見で人間の知識が深まるので、産霊の成長に尊崇する行為だ。だから、科学を励んだらそのことで産霊を尊崇すると言っても過言ではない。産霊の側面が場合によって異なるものの、行為の基本方向がいつも産霊に向かう。だから、成長か創造かという区別に拘らなくても良い。

では、最後に施設について説明する。「施設」も広く解釈したい。学校を創設したら、それが一つの例だ。創業者も施設の創造をしている。法律の案を構えて、採決させることも施設の創造だ。つまり社会で働く制度などを構えることは施設の創造だ。このような創造の場合、完璧に前例を真似しても創造に当たる。ある学校の構造が大成功と認めたら、同じ構造でまた学校を創設しても差し支えないので、これも創造として認めるべきだと思う。つまり概念をもう一度実現することも創造だ。

挙げた例を顧みると、大規模な物ばかりだ。私のような一般人がニュートンのように科学に革命をもたらす理論を発明できるわけはないし、学校を創設する為の資金もないし、小説を書くことは、私にはあるものの、まだ誰でもできることではない。だから、創造で産霊を尊崇できる人は限られていると言いたいのだろう。

確かに誰でもできるとは限らない。だが、小規模な創造も認めるべきだ。例えば、子供に自家製の物語を語ったら、それは創造だ。自家製といえば、自家製の料理も創造だ。レシピに従っても、材料から食事を作ることも創造だ。それは、概念を実現することだからだ。生活をより快適にするために家族のスケジュールを構えることも、施設の創造の例だ。だから日常生活の中の創造も認める。

その上、一人で何かを創造する必要はない。他の人と協力して、大規模な何かに貢献することも、産霊の創造を尊崇する行為だと思う。プロジェクトに寄付することも、相応しい行動だと思う。つまり建設会社で働く純労働者も、毎日の行動で産霊を尊崇する。工場で働く人も、工場の生産に貢献するので、普通の仕事で産霊を尊崇する。

最後に、失敗しても、努力を評価しても良いとも思う。成功した方がいいのは言うまでもないが、創造することは難しいので、努力する行為も産霊を尊崇する生活だ。だから、能力が足りるかどうか分からない場合でも、挑戦しても良い。

成長や創造の範囲の広さを考えると、産霊を尊崇せずに生きることは難しいと思ってくるだろう。それはそうだと思う。産霊は、生きる力だとも言えるので当たり前だ。しかし、推進したい生活は、積極的に創造や成長を進める生活だ。だから工場での仕事だけではなく、プライベートでも何かを創造する。例えば趣味で書道の作品を作ったり、バルコニーで植木鉢の庭を育てたりする。産霊を尊崇することは、最低限で義務を果たすことではなく、積極的に人生を豊かにする態度だ。次回、この態度についてもう少し論じたいと思う。