『神道はどこへいくか』

この本を偶然に本屋さんで見つけて、すぐに入手した。なぜなら、極めて稀な神道の現在についての研究の成果を納める書籍だからだ。編者の石井研士氏が後書きでこの現象をちょっと惜しむ。石井氏によると、現代社会の中の神道を政治との関わりと異なる点から理解したかったそうだが、國學院大學の教授になったら同じような研究と取り組む人がいるのではないかと思ったものの、まだ少数だった残念な現実と向き合ったそうだ。にも関わらず、「現在」を研究の視点にする同大学の大学院に進学した学生を集め、この本を著すことができた。私にとってとても有難いことだ。

もう分かるかもしれないが、この本を強く評価する。掲載される論文の扱う神道の側面はそれぞれだから、纏めるのは難しいが、いずれも神道の現在に光を差して、過疎過密化、それに少子高齢化や情報社会化の嵐の中の神社の在り方を描写する。実証的な研究は大半だから、証拠がまだ限られる場合でも前に入手できた情報より確実だと言える。だから、神道の現代や神道の未来に興味がある人には必読だと思う。

実は、論文の大半を一つずつブログで取り上げたいと思うので、この投稿で詳しい内容に触れないことになる。だから、本全般についての感想をちょっと書かせていただく。

先ずは、論文を著した方の大半は私より年下であるそうだ。大学院生であれば当たり前だが、あくまでも悔しい。でも、特に一つの論文が私の企てた研究に大変役に立つようだから、この成果を踏まえて私も神道についての研究を産み出そうと思う。(研究に利用するためここで論じるつもりはないので、阪本直乙子氏の『「神道」の人気本』という論文だと書いておきたい。)

もう一つ気になったことは、本の中で伊勢の神宮や皇室に触れる論文は皆無だ。神葬祭についての記事で歴史を語る部分で近代の神道制度や神社本庁の設立に触れるので、「神宮」という言葉が現れるが、内容として論じることはない。一つの原因は、やはり、石井氏が述べた希望で「政治との関わりと異なる点」を調べることだが、その目標であれば皇室を避けることは当然だろうと認めても、神宮を民俗信仰の立場からも論じられる。といっても、特に現在の神道の重要な要素を欠かしたような気がしなかった。だから、私がずっと前から考えてきたことと沿った。それは、現代の神道を論じれば、神宮や皇室を中心に据える必要はないことだ。もちろん、全般的な概説を著したら、神宮を無視するのは全く無理だが、中心であるかどうか、研究によって調べるべきことだと思う。神道はどこへいくと訪ねられたら、必ず伊勢に行くとは限らないようだ。