医療技術

今日Natureという科学雑誌の先週部を読み始めたが、社説で日本の医療の一部を丁寧に注意する(リンク先は英語だ)。精神病の診断に日本で近赤外線分光術が使われ始めたそうだが、社説によると証拠はまだ不十分だそうだ。導入した医師には人を助けようとする動機を認めるが、診断で間違えたら病気を深刻化する恐れがあることを指摘して、警戒する。このケースについて知識などはないし、学界の中でも技術についての論争が起こるのは珍しくないので、詳細について言及しない。むしろ、一般的にちょっと論じたいと思う。

医療技術の進化には難しい点がある。それは、病気を患う人は技術が待てないことから発生する。病気であれば、治療方法が来年確実に設置する見込みがあっても、無意義だ。来年まで病気で苦しむし、もしかして来年までに死ぬだろうからだ。一方、新しい治療方法を確実に検討するには、数年間がかかる。だから、科学者側が「もう少し検討すべきだ」と強調しても、患者側が「効く可能性があれば、使わせろ」と求める。患者の気持ちは理解し難くないだろうが、私が結局科学者側に属する。

なぜなら、ちゃんとした検討を終えないなら、逆効果がある可能性は少なくないからだ。ちょっと前にエイズ対策の一つはそうだった。最初の検討で感染防止効果があるようだったが、最後の大規模で時間がかかる検討で、感染を促進する効果があったことが分かった。それが分かったとたん検討を止めたことはいうまでもないが、最後の検討を待たずに導入したら、大きな災害になったのは推測する。そうでなくても、効果は結局ない治療方法も多いが、その場合は副作用の報いはないので、患者には悪影響を与える。

だから、治療しないとすぐに死ぬ病を患う人にまだ検討が足りない治療方法を導入してもいいと認めても、死なない場合、そして医療技術は診断や防止用の場合、厳しいけれども最後の検討の結果を待つべきだと思わざるを得ない。