産霊〜態度

産霊の尊崇は、行動ではない。むしろ、態度であり考え方である。この態度が自ずと行動で表現されるし、それより封印するようにしても抑えられないことだが、態度は基本だ。前回に言った通り、生きるだけで産霊を尊崇する行為は避けられない。他方、産霊の尊崇を表す行為以外の行動をする必要もある。だから、「このような行動はいい」という助言で止まったら、生き方の指導にならない。そうすれば、好ましい行為を具体的に一つ一つで指摘するか、行動の動機になる態度を描写するか分岐に直面する。態度を重視することには幾つかの理由がある。

先ずは、神道の「言挙げせず」原則を留意しないといけない。行動の詳細を定めるには言葉が必要となるので、話すばかりになる。しかし、態度であれば、概ね言葉で描かれて、そして例の指摘に任せてもいい。身近な人に教えようとしたら、言葉なしにできることだ。子供が親の背中を見て育つと言われるが、態度をそのように授けることは可能だ。ブログで言葉しかないので、言葉の使用は不可避だが、態度を重視すればそれは媒体の影響に過ぎない。行動を詳しく定めれば、言葉は避けられないことは、目標の本質の結果だ。一般で抽象的に行動を定義することは、言葉でしかできない。

そして、態度を重視すれば、曖昧にも柔軟にもなる。日本人は、曖昧のことは大好きで、日本の神道の観念に相応しい方針なのではないか。でも、曖昧さには本格的な利点もある。それは、他人を攻めることが難しくなることだ。倫理を他人を攻めたり批判したりするために使う人は少なくないが、そのような用途が避けたい。むしろ、このような生き方の態度を、自分の人生の道標として使うべきだと思う。自分の態度が曖昧であっても、自分の解釈で自分の人生を導いても良い。

さらに柔軟さのお陰で、社会が変わったら、具体的に推薦される行動も自然に変わる。これは極めて重要だと思う。昔からもう相応しくなくなった行為を強く維持する宗教などは決して少なくないので、私の神道観念が同じような罠に陥らないように気をつけたい。態度を基本とすれば、態度を持つ人が現状を見て、態度を表すために相応しい行動を選ぶので、行動がいつも現状に沿って変容する。

では、どういう態度を推薦したいかというと、積極的に世界の創造と成長を増やす態度だ。だから、普通の生活や仕事に伴う創造と成長に止まらず、生活の中で創造や成長の機会を探して、見逃さないことだ。何の生活でも、機会は活かせないほど多いと思うので、選択する必要がある。この選択について、拘束したくない。「一番成長になりそうな行為を選ぶべきだ」などとは言わない。なぜなら、人によって趣味や関心が異なるので、大きく成長すると予想できるのに関心は全くないことを無理矢理させることは愚か、その行為に対する義務づけの気分さえ押し付けたくないからだ。本当に積極的な態度を持ったら、成長や創造の少ない行動をわざと選ぶ筈はないので、個人の判断に任せることは基本だ。

そして、自分の行為だけではなく、周りの人や環境の創造や成長を推進することとも積極的に取り組む態度だ。先ずは、他の人の成長や創造を防止する行動を避けることになる。確かに資源に制限がある限り、私が使ったら他の人に使えなくなるので、何をしても他の人の創造を妨げると言えるが、ここで態度であることは重要だ。自分が産霊を尊崇するなら、当然創造したり成長したりするが、過剰に他の人の行動を妨げることも避けたくなる。このような過剰な防止には人に傷を付けたり、物を盗んだりする行為が当然含まれる。それに加えて、人を成長や創造と取り組む機会はない状況にも追い付けたくない。例えば、生計を補う為に毎日11時間働かせることは、産霊を尊崇する態度と合わない。人を雇っても、成長や創造の機会を少なくとも残すのは当たり前だ。できれば、このような機会を積極的に与えたほうがいい。

しかし、周りの人を強制的に成長させるわけにはいかない。産霊は、生命の力であるので、行為は自発的ではなければ、産霊から遠ざかる。だから、成長や創造の機会を増やしたり、無駄な時間に誘う罠を減らしたりするが、最終決断を本人に委ねるべきだ。人間以外の生き物も同じように取り扱うのは基本だ。要するに、繁茂する機会や環境を作るが、それから自然の力に頼って、傍らから見るだけだ。

この態度を取ったら人生には難しい判断が無くなるわけではない。むしろ生き物の数と同じように多い困難な判断がでると思える。しかし、この態度が性格に付着したら、問題を考えたり、いい解決方法を探ったりすれば、結果として産霊を軽視するはずではない。ある問題をその問題の詳細や実状によって解決するしかない。類似する問題が参考になるが、必ずしも同じ解決方法を取るべきだとは限らない。他の人の判断を裁く為の言葉で表した規則はないので、自分の選んだ行動を釈明するにはただ「産霊を尊崇した」と言うしかない。ここで、言葉で説明できる限界に近づくので、言挙げせずの要素が見えてくるだろう。

規則はなかったら、自分の心の中でこの態度を育む必要がある。それをどうやってできるのか。実は、難しくない。但し時間がかかると認めざるを得ない。基本方針は、この態度があるように行動することだ。そうすれば、自然にこの態度が性格の一部になってくると思われる。

例えば創造に対して積極的な態度を育むために、毎週短歌を一首詠むことにしたらいいだろう。最初にちょっと重く感じるかもしれないが、継続したら慣れてくるし、しないと何かが欠かすように感じるようになるし、それに結局詠む首数を増やしたくなるだろう。成長にも同じような行動が効くと思われる。もし中国の唐の時代について勉強することにしたら、漫画の歴史の本から始めても、より詳しく知りたくなって、そして関連する出来事についても好奇心が湧いてきてもおかしくないだろう。

こうすれば、態度を育んでいる間にも産霊を尊崇する生活を送る。要するに、待つ必要はない。態度を育むために小さなことから始めてもいいので、誰でも今日から取り組める。一方この生活には限りはない。成長も終わらないし、創造できることを使い切れる可能性もない。この要素で人の心を惹くことができると思う。楽しめるようになる前に長い訓練は不要だが、奥深くて醍醐味があるからだ。その上、心理学の研究の成果を見れば、創造や成長が人間の幸せに貢献するそうだから、こうする人が後悔しないとも思える。

産霊は、生命の力だから、生き物の行動に否定的な態度をとればちょっと矛盾を抱える。だが、本当に産霊を尊崇する態度を持てば悪質な行動を禁じる、即ち行動を否定する、必要がなくなる。産霊の尊崇を表すために精一杯になるので、悪いことをする余裕がなくなるからだ。だから、褒めたり勧めたりすることであるべく性格を育てることはできる。産霊の尊崇を教える時も、産霊を尊崇できる。