死刑廃止

重要な政策のひとつは、死刑廃止だ。理由はいくつかある。

先ずは、冤罪があることは重大な理由だ。間違えて無罪な人を刑務所に送っても、間違いに気づいたら解放して損害賠償を与えることはできる。一方、死刑にすれば、何もできなくなる。大変な犯罪を犯した犯罪者の人権はともかく、無罪の人が国家に殺されないように保障するために、死刑を廃止する必要がある。最近検察側の間違いや証拠改竄のことが多発したので、これは空虚の机上の問題ではない。だから、先ずは、市民を守る為に死刑を廃止する。

そして、犯罪は如何に酷くても、死刑を科すべきではないと思う。殺人は重い犯罪であればあるほど、国家が殺人を避けるべきだ。人を殺したからこそ犯人と看做すので、国家がわざと人を殺したら、国家も犯人だと言えよう。悪質な行為を罰するために、その悪質な行為を真似するべきではない。もちろん、懲役や禁錮を科すべきだが、様々なことを配慮して拘束するのは悪徳なことではない。

別な立場から見れば、国家が人を捨てるべきではないと私が思う。国家や社会が市民の皆を一人ひとり育て、成長できるような環境を整えるべきは、渡すの強調したい意見だ。殺人を犯した人の優先順位は確かに低いが、少なくとも殺さないことは基本だ。刑務所で人の成長に努めた方がいいと思うが、そうする前に一般の社会人の環境の整備に尽力する必要があるだろう。だが、人を殺したら、刑務所の環境を改善することになったら、あの人には何も意味はない。だから、将来の改善を待つ為に生きたままにするべきだ。

この最後の理由が私の哲学から発生するので、説得力はない場合もあるだろう。だが、なんと言っても、一番の理由を認めざるを得ないだろう。国家が無罪な人を殺すことは許せないが、それを防ぐ為に死刑を廃止するほかならない。


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コメント

“死刑廃止” への10件のフィードバック

  1. 空のアバター

    死刑制度の賛否は難しい問題ですね。

    ぼくは、心情的には廃止して、更正、あるいは、社会になんらかの形で貢献させたほうがいいのではないか、と思っていますが、どちらも決着つけがたい問題だろう、と思っています。

    死刑による一般予防効果ーーー死刑がある、ということで、社会の犯罪を予防する効果についても両論あるようですね。

    被害者の家族にしてみると、加害者を死刑にすることで得られるものはないのですが、しかし、自分の家族が殺されて、加害者が生きているということ自体がゆるせない、という不合理な情念のようなものがあるのかもしれない。

    冤罪の可能性についてはおっしゃる通りです。
    もっとも、例えば、先日起きた秋葉原の事件のように、衆人の目の前で多くの人が殺害された場合、冤罪の可能性はない、といってよいのではないでしょうか?


    人を殺したら、刑務所の環境を改善することになったら、あの人には何も意味はない。だから、将来の改善を待つ為に生きたままにするべきだ。

    →ここは多少わかりにくい。

    他の記事もおもしろく読ませていただいております。

    日本語の練習、も兼ねておられるようなので、僭越ながら一応指摘しておきますと、

    無起訴→不起訴(無罪判決と検察)

  2. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    空様、いつもコメントをありがとうございます。

    様 :

    死刑による一般予防効果ーーー死刑がある、ということで、社会の犯罪を予防する効果についても両論あるようですね。

    そうですね。少なくとも、予防力は著しいとは言えません。

    もっとも、例えば、先日起きた秋葉原の事件のように、衆人の目の前で多くの人が殺害された場合、冤罪の可能性はない、といってよいのではないでしょうか?

    確かに冤罪の恐れはありません。問題がちょっと少なくなるとはいえ、精神問題があるかどうかの判断には問題がまだある可能性はありますので、この場合でも絶対確実なことであるとは言えません。そして、私が他の理由でまだ死刑に反対します。


    人を殺したら、刑務所の環境を改善することになったら、あの人には何も意味はない。だから、将来の改善を待つ為に生きたままにするべきだ。

    →ここは多少わかりにくい。

    申し訳ございません。もう一度頑張ります。

    刑務所の現在のやり方で、積極的に更生に努めるとは言われません。それに、刑務所の環境に税金を注ぐ前に犯罪者ではない一般国民の助けに努めるべきです。しかし、犯罪者の更生を支援することは望も足居ですので、将来に刑務所の役割を改善する計画を持った方がいいです。死刑を科したら、殺された人にはこの改善の利益が及ばないので、今刑務所が人間のためのゴミ箱に過ぎなくても、将来の改善を期待して生きたままで殺人を犯した人も保留したほうがいいです。

    いかがでしょうか。

    日本語の練習、も兼ねておられるようなので、僭越ながら一応指摘しておきますと、

    無起訴→不起訴(無罪判決と検察)

    貴重な指摘をどうもありがとうございます。もう訂正させていただきました。実は、「不」か「無」か迷いましたが、やはり結局失敗。このような指摘が本当に勉強になります。

  3. 空のアバター

    ありがとうございます。

    ぼくのコメントも多少舌足らずのところがあったように思います。

    死刑制度の存廃については欧米でも日本でも議論はあるわけですね。

    で、そうした議論をみていてぼくは、両論どちらも同じように説得力があるのではないかな、と思うのです。
    たしかに、誰かが誰か殺しました。だから、その殺した人をまた殺しましょうといって、その人を死刑にしても、誰かが得するわけではない。

    だから、個人的には、死刑は廃止して、終身刑の方がいいとは思う。(日本の場合、死刑の次に重いのが無期懲役ですが、これは、大抵、生きているうちには釈放されますから、終身刑、という刑罰を設定すべきだとも思います。)そして、なんらかの形で社会貢献してもらうほうがーーー功利主義的な発想ですがーーーいいのではないか、と。

    しかし、他方、被害者の家族の身になってみると、殺害の場合に限って言えば、その応報感情も、被害者の家族でなければわからないような激しいものがあることもあり、それは、全くいわれのないものでもなく、その応報を国家が遂行することも理不尽とも言い切れない、それを否定してしまうのも酷かな、と思うのです。

    こうして賛否両論ある場合には、民主的な議論を通じて、存廃を決めるのが合理的でもありますが、英国の場合は、

    ”In most of the United States, popular support for capital punishment translated quickly into government policy. Many other countries, by contrast, abolished capital punishment despite considerable popular support for it….
    In fact Britain had abolished capital punishment when a majority of the population supported it and refused to reinstitute it in the 1970’s when 80 % of the population supported it. If so strong a popular preference cannot get translated into govement action, this suggests that democracy is not working..
    (page 159 “Law, Pragmatism,and Democracy Richard A Posner)

    民主的というよりも高度な政府判断で廃止した、ようですね。

    >将来の改善を期待して生きたままで殺人を犯した人も保留したほうがいいです。

    うーーーん、ちょっとまだわかりにくい。ごめんなさい。

    死刑を廃止して、刑務所の役割を改善ーーー例えば、もっと更正に重点をおく、というようにーーーーしたほうがいい、ということかしら?

  4. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    空様、ありがとうございます。

    存廃両論があることは確かですね。死刑を廃止する為に、国民の大半を納得した方が好ましいと私も思います。ただし、人を殺すことに大変に慎重にするべきだと思いますので、この場合英国の方針を批判したくありません。

    様 :

    うーーーん、ちょっとまだわかりにくい。ごめんなさい。

    死刑を廃止して、刑務所の役割を改善ーーー例えば、もっと更正に重点をおく、というようにーーーーしたほうがいい、ということかしら?

    その通りです。理想な刑務所で犯罪者の更生に一生懸命努める制度などがありますが、それに巨額な財源が必要ですし、犯罪を犯していない人にも援助は必要ですから、財政状況が大きく回復するまで実現できない理想だと言わざるを得ません。ですから、少なくとも改善できる前に人を殺さないほうがいい、ということです。

  5. 空のアバター

    なるほど。

    議論の組み立てとしては、

    1)刑罰は教育刑たるべきである。
    2)死刑にしては教育刑の役割を果たせない。(死刑は教育刑の趣旨に反する)
    3)従って、死刑は廃止すべきである、

    と構成したほうが理解を得やすいかもしれませんね。

    (但し、この場合1)をかなり説得的に論じる必要がある。)

    主題はたいへん深刻な問題ですが、こうした議論が日本人と外国出身者の間で日本語でできるということが有意義だと考えています。
    他の外国出身者の方、あるいは、日本人の方にとって、ひとつのモデルになればいいな、とも思っています。

  6. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    様 :
    なるほど。
    議論の組み立てとしては、
    1)刑罰は教育刑たるべきである。
    2)死刑にしては教育刑の役割を果たせない。(死刑は教育刑の趣旨に反する)
    3)従って、死刑は廃止すべきである、

    はい、その通りです。

    (但し、この場合1)をかなり説得的に論じる必要がある。)

    ですよね。それは投稿の最後の段落の趣旨です。説得的に論じる為に、罰則から始めずに、一般に他の人間への態度を論じてから、罰則の場合どう当て嵌めるかについて論じた方がいいと思います。ですから、単純に死刑について論じれば、冤罪の恐れをよりどころにしたほうがいいのではないかと思います。

    主題はたいへん深刻な問題ですが、こうした議論が日本人と外国出身者の間で日本語でできるということが有意義だと考えています。
    他の外国出身者の方、あるいは、日本人の方にとって、ひとつのモデルになればいいな、とも思っています。

    国境を越えてこのような問題を論じたほうだいいですね。一つの国の立場からしか考えないと、既存思想(いま作った日本語ですが、意味は前からもった考え方です)に左右されてしまいます。他の立場も検討すれば、結局元々の思想に戻る可能性も充分ありますが、合理的な基礎が固まります。

  7. 空のアバター

    >単純に死刑について論じれば、冤罪の恐れをよりどころにしたほうがいいのではないかと思います。


    とういことでしょうね。その場合、先に指摘した、冤罪が不可能にみえるケースに留意する必要がある。(衆人の前での大量殺害)

    ご指摘の点は、心神喪失、心神耗弱など責任能力

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E9%98%BB%E5%8D%B4%E4%BA%8B%E7%94%B1

    の判断も絶対とは言えない以上、死刑は回避すべきでる、ということになるんでしょうね。

    もっとも、死刑存続派からすれば、そんなに慎重になってはどんな刑罰も与えることはできないことになってしまう、という反論がありえるかもしれない。

    思うに、死刑廃止を主張する立場は、一つの理由で決定的というわけではなくーーー冤罪の可能性はかなり有力ですがーーーーご指摘の刑罰の趣旨論からの主張などを含めた、複合的な理由をもって論拠づけたほうがいいように思います。

    >国境を越えてこのような問題を論じたほうだいいですね。


    そうですね。
    それもあるし、日本人と外国出身者がある主題をさりげなく、日本語で議論する、という光景が日本ではそもそもめずらしいので、そうした点からも意義があるかな、と考えました。

  8. 空のアバター

    回避すべきでる
    →すべきである。

  9. 空のアバター

    たびたび失礼

    >既存思想(いま作った日本語ですが、意味は前からもった考え方です)


    既存の枠組み
    自分が慣れ親しんだ枠組み
    自分の国で依拠していた思考の枠組み

    といった感じでしょうかね?

  10. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    空様、遅れてすみません。

    様 :

    もっとも、死刑存続派からすれば、そんなに慎重になってはどんな刑罰も与えることはできないことになってしまう、という反論がありえるかもしれない。

    そうですね。ただ、他の刑罰の場合、間違えたら後で何かの謝罪や賠償はできますが、死刑の場合それは無理です。これは大きな違いだと思います。

    思うに、死刑廃止を主張する立場は、一つの理由で決定的というわけではなくーーー冤罪の可能性はかなり有力ですがーーーーご指摘の刑罰の趣旨論からの主張などを含めた、複合的な理由をもって論拠づけたほうがいいように思います。

    その通りですが、ブログの投稿を書く時間には制限がありますので、ちょっと省きました。人間観念から始める必要もありますので、かなり長い論文になりそうです。

    >国境を越えてこのような問題を論じたほうだいいですね。


    そうですね。
    それもあるし、日本人と外国出身者がある主題をさりげなく、日本語で議論する、という光景が日本ではそもそもめずらしいので、そうした点からも意義があるかな、と考えました。

    そうかもしれませんね。私には特に珍しくありませんが、私の周辺には日本人は沢山いますので、論じる機会は多いです。外国出身者は、日本でそもそも少ないですし、日本語はまだ不自由の方も少なくありませんので、普通に機会はなかなかないでしょうね。確かにその可能性を実感すればいいです。

    様 :

    たびたび失礼

    >既存思想(いま作った日本語ですが、意味は前からもった考え方です)


    既存の枠組み
    自分が慣れ親しんだ枠組み
    自分の国で依拠していた思考の枠組み

    といった感じでしょうかね?

    そうです。ありがとうございます。四字熟語はありませんか。なるほど。