無罪判決と検察

最近『選択』の発行に追い付いて、1月号の記事を読んでいる。今朝読んだ記事は、検事総長の人事についてだったが、検察の問題を列挙する。その中、証拠改竄問題はもちろん挙げられたが、もう一つは「無罪判決」だった。ここで一切賛成できない。

無罪判決は検察の失敗ではない。捜査の後で不起訴にすることは益々失敗ではない。

先ず、捜査の結果で不起訴にすることは失敗ではないことは明らかだろう。捜査する前に疑いには現実があるかどうか分からないからだ。真偽を明らかにする為こそ捜査を行う。だから、社会問題は深くなければ、捜査の大半が不起訴で終わると思った方がいい。違法行為の疑いがあっても、実は合法だということは一般的になったら、それは問題ではないが、検察の捜査が無罪の現実を発掘することになる。

そして、捜査の結果で違法行為があった可能性は高かったら、裁判に持ち運んで、裁いてもらう。罪を判決するのは、検察ではなく裁判官や裁判員だ。だから、検察の義務は、無罪判決に終わるだろうと思われる事件を起訴することだ。そして、無罪判決になっても、検察側が自分たちの役割を果たしたともいうべきだ。だから、事件が無罪判決になることは、検察官の出世に妨げるわけにはいかない。

検察の唯一の明らかな失敗は、冤罪での有罪判決だ。だが、無罪判決が検察の失敗として評価されたら、本当の失敗を招くしかない。だから、この考え方は自然だといえども、極めて危うい態度だと思う。捜査で無罪な事実を証した検察に昇進と表彰を与えるべきだ。そして、起訴の場合、結果で評価するではなく、裁判が始まる前の段階で業務評価したほうがいいだろう。もちろん、裁判で検察の過失が明らかになったら別だが、単純に結局無罪になったら、評価を替えるべきではない。

検察官の宿命は、容疑者を克服することではなく、現実を明らかにすることだ。これを忘れてはならない。