初注文

題名が最後になるが。

昨日はゆり子の美的な日になって、美術館と美容院に行ってきたので、私が真由喜の面倒を見た。私がちょっと寝坊したので、私が起きたら、真由喜がもう「しん公園」に行きたがった。しん公園というのは、近所の東高根森林公園だ。ボールを持つように言われ、一緒に出発した。天気は、予報よりよくて、気持ちよかった。一日中真由喜の成長ぶりは感動的だったので、今日の投稿は親バカの逸話に占められる。

では、郵便局によって、ATMを使った。その間、真由喜がロビーにある椅子に座って待っていたが、椅子の上に宣伝のチラシが載っていたので、真由喜が隣のテーブルに移して座った。そして、出る時にチラシをちゃんと椅子に戻した。同じように、帰ってからリビングに玩具が散らかしていたことを見て、「片付けよう!」と自発的に言って、私と一緒に片付けた。それに、一番感動したのは、寝る時間になったら、パジャマを拒否した。(結局洋服のまま寝た。)だが、ちょっと癇癪したのに、パジャマを投げたり捨てたりしなかった。むしろ、パジャマを持って、クロゼットまで運んで、パジャマの収納のところに入れた。

真由喜が落ち葉の中に座って、自分を埋めようとする
三歳でこのような遊びはいいよね
しかし、真由喜が奇麗好きになったとは言えない。森林公園についたら、ボールと遊んでから、落ち葉が多いピックニック広場に行って、真由喜が落ち葉の中で遊んだ。自分の上に落ち葉を浴びることは楽しそうだった。幸い、恒例の青いアイスクリームを食べる前に手を洗ってくれた。ボール遊びでは、ボールを無くならないように優しく遊ぼうとも戒めたことがあった。行動の結果に敏感になり始めたように見えるので、これも重要な成長だ。

夕方になったら、ゆり子と合流してお寿司を食べに行った。長く待つことになったが、その間ゆり子が真由喜に「森林公園」の発音を尋ねた。ゆり子によると、今日電車で私のわが子のブログを読んだそうだから、真由喜の発音が気になった。確かに「りん」は聞こえなかったが、真由喜に数回聞いたら、結局「しん・りん・こう・えん」とはっきり言ってくれた。私たちの会話を聞いて、適切な反応を決めるようになった。同じように、来月ゆり子と真由喜がゆり子の実家に遊びに行くときの新幹線の切符の話をゆり子としたら、真由喜の座席も予約することを明らかにしたら、真由喜が急に「ありがとう!」と言った。やはり会話の内容が分かってきたよね。

さて、いよいよ待ちに待った題名だ。寿司屋さんで真由喜があまり食べなかったが、最後にメニューでポテトフライを見つけて、欲しがった。だから、自分で注文させた。開店寿司だったので、大きい声を出して「すみません、ポテトフライください!」と注文した。ポテトフライがちゃんと届いたので、注文は有効であることが分かるだろう。

最低賃金の引き上げ

この政策は簡単だ。最低賃金を1000円まで引き上げることだ。もちろん、一気に上げたら中小企業が特に苦しむので、段階的な引き上げは必要だ。そして、厚生労働省のホームページによると、最低賃金が都道府県によって異なるそうだから、それにも配慮した方がいい。最低賃金といえば、最低だから、ベースは島根県や宮崎県などの642円にするべきだ。つまり、最低賃金を358円引き上げる提案だ。五年間で実現しようとすれば、一年目に78円引き上げて、それから毎年70円引き上げる計画にしたらいいと思う。そうすれば、東京都の最低賃金が1179円になる。時給がこのレベルにしたら、年に50週間、週に40時間働いたら、島根県での年収が200万円になるし、東京都で236万円弱になる。

この政策を「機会均等」というカテゴリーに入れたが、それに理由がある。最低賃金が低すぎたら、そのような職業に就くことになった人が仕事以外なことをできなくなる。生計を立てる為に働くばかりになるのだ。だが、そうであればもう機会が無くなる。何の機会でも、活かすために時間は必要だ。夕方や週末や休みがあれば、頑張ったらできるが、それはないと何もできない。だから、資産のない貧しい家族に生まれた人の機会均等のために、貧しさに制限を置く必要がある。自由市場の大前提は機会均等であり、このような制度が市場の自由を一切侵害しない。

それに、他の利益も期待できる。比較的に低い年収の人が収入のより高い割合を国内で出すそうだから、そのような人にちょっと多くなった収入があれば、内需が高まる。そして、所謂貧困ビジネスに終止符を付ける政策の必要な一部だとも言える。

財源は不要だが、経営者からの反発は簡単に予想する。それを乗り越えるしかないと思う。もし業界の破綻と繋がりそうであれば、救済制度を設定してもいい。もちろん、この制度で経営者に法定の最低賃金を給付する。機会を奪うレベルの賃金を給与することは、人間を掠る行為だから絶滅させるべきだ。しかし、法律はなければ、自由市場で賃金を単独で引き上げる会社が競争力を失う恐れがあるので、政府が指導しない限り期待できない。

そうすれば、経済への影響は小さいと思えるのではないか。なぜなら、賃金が経済から引き出すことはないからだ。むしろ、すぐに消費する人に与えるので、経済に回すことだ。企業の経費が確かにちょっと上がるが、同じように売り上げが上がると推測する。近代工場を発明したフォードも同じように思ったそうだ。工場で作った車を大衆に売ろうとしたので、自分の工場で働く人の給料を車が買えるレベルに設定するべきだと述べたそうだ。失業のリスクを警戒する人もいるが、労働力は必要であれば、リストラできない。それより、賃金をカバーするために値上げにするしかない。確かに、ちょっとインフレに繋がる可能性があるが、最近の日本では、脅迫するのはインフレではなく、デフレだから、それも大きな問題ではないだあろう。それに、私の周辺でアルバイトなどの広告を見たら、相場の時給はもう900円台になったようだから、数字で見る引き上げより実質的に低い可能性も高いだろう。

問題が起きても、人間を掠ることに基づいた経済を継続するべきではないので、なるべく早く改革を始めるべきだ。だから、この政策を勧めたい。

完璧な人間

昨日北川景子さんがブログで興味深い投稿を公開した。先ずは、自称写真が苦手な人間って、なんでモデルと女優になったのか不思議に思わせる。さらに女優の仕事が大好きなのようだ。矛盾を感じざるを得ないよね。「写真は苦手」には、表の意味を超える意味があるはずだが、本人もちゃんと把握しない可能性もあるので、無縁の私が理解できるはずはないだろう。だから、この点について書かない。

それより、投稿の後半に書いてある次のことに考えさせられたことが書きたいと思う。

人間は欠点があるからこそ人間なのであり、完璧ではないから人間は美しいのだ!

考えることは、「完璧」というのは、どういう意味なのだろうか。実は、北川さんが言うことはよく言われる。「完璧な人間に親しめない」とか、「完璧だ、氷の彫刻のように」など。だが、親しめない人間は本当に完璧なのか。美しさも同じだ。欠点があればこそ最高な美しさに至るとも言われる。

私の今の意見は、まだ未熟なのだが、次の通りだ。

人間には一つの規範はない。だが、基準は沢山ある。いい人間になる為には、この要素もいいし、この要素もいいということ。例えば、いい人間は親切だろう。そして、いい人間が約束をきちんと守る。それに、いい人間は正直だ。この要素から特に典型的に「倫理的」な要素を組み立てたら、「完璧な人間」の模範が作れる。確かにこの模範を調べたら、欠点はないと言う傾向がある。どの要素を指しても、その要素はいいことだからだ。だが、その権現とあったら、冷たくて親しめない人間だと思うだろう。実は、この要素を組み立てたら、理想的な人間にならないからだ。他の倫理と離れた要素も大変重要だからだ。

しかし、その要素のすべてを考えれば、同時に一人の人間に実現することは不可能だ。だから、可能な理想的な人間像を描いたら、欠けるいい要素もあることは不可避。要するに、よく考えたら「これは完璧な人間ではない」と思ってくる。一方、理想的な人間だから、慕う場合もある。

それに、理想的な人間に、わざわざ欠点を入れる必要があるだろう。「この要素からできる範囲で揃って、そして整った人間に、一つか二つの要素に小さな可愛いらしい欠点を付ける」のようなレシピになるだろう。ここで指摘した欠点は、要素の欠点であることは確かだが、人間の欠点ではない。むしろ、人間を理想的にするための必要な要素だ。つまり、要素はそれぞれ完璧である人間は、完璧な人間ではないと述べたいのだ。

だから、理想的な人間を見たら、良い要素には欠点も見つけられるし、持たない好ましい要素も見つけられるので、「人間は、完璧ではないから魅力的だ」と言いたくなる。しかし、要素はないことは、好ましい要素をすべて一人に揃えることは不可であるからだし、要素の欠点は、人間の重要なメリットだ。このような批判できる点がある人は、完璧な人間であるのではないか。

公平な年金制度

今朝のNHKニュースで年金救済政策の不公平を訴える意見が伝わった。問題は、夫がサラリーマンから自営業に転勤した時に厚生年金から国民年金に切り替える手続きを起こった専業主婦が今年金なしの老後を迎えることだ。救済策として、そのような人が二年前の国民年金掛け金を納付したら、給付する権利を切り替えるべき時まで遡ってもらうことだそうだ。問題は明らかだろう。ちゃんと手続きをした専業主婦が長年保険料を納付したが、年金の給付金額がその十分の一しか納付しなかった人と同じようになることだ。確かにこれは不公平だ。ただし、容易に解決できる問題ではあるまい。

先ずは、国民年金の全額が生活に足りるかどうかは疑わしいので、その金額に至らない人には深刻な問題があるし、生活保護を貰うことになる場合も多いだろう。だから、そのままにするわけにはいかない。一方、ちゃんと納付した人によりいい金額を与える為に財政余裕はないのはいうまでもない。財政余裕って。

外国人にも同じような問題がある。日本に着陸する前に国民年金に加入できないのは当然だが、私のように30歳代に着陸すれば、全額の国民年金を得る可能性は全くない。40歳代に着陸すれば、年金保険料を納める義務を負うものの、給付する可能性は全くない。なぜなら、給付するために25年間以上の納付歴が必要になるが、65歳以降納付することはできない。だから、40歳以降の年齢で日本に来たら、25年間納付することはできないし、年金を受けることもできない。これも大変不公平な制度だと言わざるを得ない。

そして、保険制度から税金制度に切り替えようとすれば、未納がある人をどう扱うかも問題になる。全額を与えないと生活ができないが、全額を与えたら不公平だ。

問題の根源は、意味不明の「過去二年間しか納められない」制限だ。確かに40年間分を64歳で納めようとする行動を避ける必要がある。世代分担の年金だから、そうなったら現在の高齢者の年金の為の財源が無くなる可能性は高い。しかし、「現在から二年間遡ってしか納められない」と言ったら、一旦怠ったら何もできない。国民年金の加入者の三分の一には未納分があるような統計を聞いたと思うが、この人の問題も解決しないといけない。

だから、解決策を提案する。先ず、未納分の納付を二十歳の時まで遡れるようにする。それは、外国人で二十歳の時に日本にいなかった場合でも同じにする。日本人でなぜか加入しなかった場合も同じで、学生免除を受けた時も同じする。(一部免除だったら、その一部を補えるようにする。)制限は必要だから、納付できる年分は、65歳になるまでの残っている年間と同じにする。ただし、最低一年間で2年分を上乗せで納付できる。要するに、未納があれば前納になるまで毎年少なくとも3年分を納付できるようになる。だから、60歳に未納に気づいたら60歳で6年分を納付して、そして最低の3年分で続くことができる。6年分は、60歳の一年分と65歳までの5年分だ。そして、その残っている五年間はもう使ったので、最低の当年分と二年分になる。合計で、65歳までに18年分を納付できる。だから、42歳から怠っても、補える。勿論、一気に国民年金の6年分を納付することに100万円強が必要になるので、簡単ではないが、これは極端の話だろう。30歳代に気づいたら、ゆっくりできる。毎年1.5年分を納付したら、補えるからだ。

こうすれば、平等な状態に至る為の手法を開くので、不公平な措置が不要になるだろう。