昨日の夕方は真由喜の待ちに待った「鬼は外!」だった。月曜日に豆まきの為の豆を買って以来、ずっと「鬼は外はいつ?」と聞き続けたので、やっと来たら大喜びの真由喜。しかし、私が鬼のお面をかぶったら、真由喜が「いやだ!鬼しないで!」と叫んだので、やむを得ず止めた。お面を外したら、真由喜が積極的に和室に行って、「鬼は外!福は内!」を叫びながら私の方へ豆を投げた。ゆり子が撮影役にして、ビデオ収録を確保した。
それから、豆を片付けたら、恵方巻も食べた。真由喜が外側の祝詞ご飯しか食べなかったが、恵方に向かってがぶっと食べたので、この習慣も活かした。
食べ終わったら、私と真由喜が和室に戻って、また豆まきした。私が鬼役をまたしたら、真由喜も鬼役をしたくなったので、私が真由喜の方へ豆をまいた。そして、現実の(?)鬼なしに、二人で豆を投げたり拾ったりした。本当に楽しかった。
終わったら、感謝することをしたら、真由喜が恒例の見たテレビ番組ではなく、豆まきを感謝することにした。感動した。
だからこのような習慣が守りたい。
コメント
“節分” への3件のフィードバック
>終わったら、感謝することをしたら、真由喜が恒例の見たテレビ番組ではなく、豆まきを感謝することにした。感動した。
→
これはわかりにくい。
豆まきが終わったら、娘がいつもみているテレビをみるのはやめて、豆まきを感謝していた。感動した。
ということかしら?
@空様
コメントをいつもありがとうございます。
「わが子」というカテゴリーの投稿は基本的に家族や友達向けですから、内の状況が分かることを前提とする内容もあります。これはその例です。
「感謝すること」というのは、家族の儀式です。原則として毎日の夕方に家族で神棚の前に揃って、拝礼の作法の前にその日の中で感謝することを発表します。真由喜が普段「今日感謝することは、○○のテレビ番組を見たことです」というが、節分に豆まきを感謝しました。
このような投稿は、誰でも読んでもいいですが、殆どの人が興味を持たないと思いますので、背景を説明しない場合は多いでしょう。
なるほど。
「ところで、うちでは、毎日、その日、ありがたいな、こんなことがあって良かったな、と感じたことについて、神棚に向かって感謝の報告をすることにしている。
娘はいつもは、テレビ番組が見られてよかった、などと言っているのだが、今日に限って、豆まきしたことについて感謝していた。
感動した。」
という感じでしょうね。
—–可愛らしいですね。