神道の中の産霊

今まで日常生活の中の産霊の尊崇について論じたが、神道の宗教的な活動にどうやって反映したらいいかについてこの投稿で扱いたい。

先ずは、産霊の神様を崇敬することは相応しいだろう。造化三神の二柱のタカミムスビの神とカムムスビの神を代表すると思う。漢字の表記は様々だが、ここで高御産霊神と神産霊神として表記させていただく。古事記の冒頭に現れる神で、アメノミナカヌシの神と違って、それからも神話で登場する神だ。高御産霊神は、高天原を支配する性格もあるし高天原系の神と深い関係を持つが、神産霊神が出雲系の神と深く関わる。だから、二柱を崇敬すれば、産霊だけではなく八百万の神に対する崇敬も象徴すると言える。あいにく、神社の祭神として人気度は低そうだから、お札を入手することはちょっと難しい。東京大神宮の祭神だが、それは天照大神が主祭神である「東京のお伊勢さま」と自称する神社だから、重点が異なる。他の比較的に近い神社は福島県の安達太良神社や長野県の四柱神社もあるが、ヒカクテキニ近いとは言え、電車で3時間程度がかかる。ちょっと不便だろう。

では、実践の問題を置いておいたら、私の神道観念で高御産霊神と神産霊神が中枢に位置すると言えよう。

狭義で宗教活動と言うことから俗世と関わる神社の活動に目を転じよう。この面で何をすればいいだろう。

先ずは、神社で神道関係の作品を歓迎したらいいだろう。ここで「作品」と言えば、美術の作品も、工芸の作品も、本や漫画や映画などの物語の作品も含まれる。美術を受け入れる伝統は長いし、伊勢の神宮の新宝は重要な例であるので、それは問題ないと思う。漫画などに対する抵抗感や違和感があるかもしれないが、縁起絵巻は漫画のようなものだし、記紀神話は物語だから、これを受け入れる伝統も長い。もちろん、神社に好ましくない作品もあるが、対応策として神社界の本質をアピールする作品をより促進すればいい。好ましくなくても、抑制することは産霊に背くと思った方がいい。

促進するために、神社の資産を使って作らせてもいいと思う。産霊を尊崇することは神道の中枢にあれば、これも宗教的な活動だし、式年遷宮が前例になる。そして、作品を奨励する制度を設けたらいい。表彰などで奉納された作品を認めたら、奉る人が増えるだろう。

また、神社がより積極的に教育と取り組んだらいいのではないか。宗教系の学校法人の統計データを見たら、神道系の学校は極めて少ないであることが目に当たる。大学は二つしかないし、高等学校以下の施設も合計で十に至らないほどだ。幼稚園は勿論あるが、それも珍しいほうだ。学校だけではなく、生涯教育を提供したらいいと思う。もちろん、神道についての教育が自然に中軸になると思うが、産霊を尊崇するために何の教育でもいいので、広い範囲で考えたほうがいい。例えば、神社で誰も閲覧できる神社神道についての書籍を集める図書室を設けたらいかがだろうか。そして、宮司や禰宜が公開の講義を行ってもいい。言挙げせずとちょっと合わないだろうが、祭祀の一部ではなく、成長の応援の一部として提案する。

もっとも、教育をよく考えたら、勉強や学問には限らない。神社で実践なども教えることはできると思う。素朴な事例だが、参拝作法が分からない人は日本人でも少なくないので、それを教える一時間の講座を設けたらどうだろう。本などを読んでも、手水舎でどうやって口をすすいでから水を吐くかわからない場合は多いが、手本が見られたら問題はない。素朴なことから始めても、効果が期待できる。

最後に、狭義の宗教活動に戻りたい。これまでの方針が今までの神道の実践と全く相違しないが、次の提案がちょっと逸脱するだろう。創造を尊崇するために、新しい祭祀などを発明したらいいと思う。神道についての書籍でよく「伝統を守るべき」のような内容があるし、神社本庁の憲章には「神職は、使命遂行に当つて、神典及び伝統的な信仰に則り、いやしくも恣意独断を以てしてはならない。」(第十一条3項)と書いてあるので、神社界は祭祀の創造にたいして消極的であることは明らかだ。

しかし、私がまだ創造を推進したいので、その理由をここで紹介する。

先ずは、伝統を捨てることを勧めるわけはない。産霊から始めたが、伝統の重大性についても書くつもりがある。ここで、序章を繰り返して、伝統を尊重する必要性を強調したい。だから、新しい祭祀を創造する為に既存の祭祀を乱れに廃止したり、変容したりするわけにはいかない。そして、創造と言えば、ゼロから創造することだけではなく、あるものを更新することも創造の一種だと言ったので、それもここで活用する。要するに現在の社会環境に合わなくなった祭祀の更新も創造の一つだ。例えば、伝統として神輿を数十人の氏子の壮士に担いでもらうが、現在過疎地になって氏子の最若年者はもう五十歳を超えたら、更新が余儀なくされる。そして、祭祀が社会の変更によって関心を失いつつある場合、衰退する前にどうやって調整したらいいかを考えたほうがいいのではないか。これも創造だ。

それに、明記したら当たり前だが、何の祭祀でも、いつか創造された。大嘗祭であれば、七世紀だったろうか、その前だったろうか、古からの祭祀だが、神前結婚であれば、明治時代に創造された。だから、祭祀を創造するからといって、神道の伝統に背かないのは明らかだ。そして、祭祀の中の祝詞を場合に応じて作成することは普通なのようだ。もちろん、典型的な祭祀であれば、例えば例大祭か、それとも諸祭で厄除か、定められた祝詞を使うことは多いが、ちょっと珍しい祈願祭や報告祭で、目標に相応しい祝詞を作ることも少なくない。私が白幡さんでのご祈祷の場合、独自の祝詞を奏上していただいたことは多い。神社本庁の祝詞の例文集には永住許可の報告祭の祝詞は載っていないようだ。つまり、祭祀の中に創造が働くことは、神道の伝統でもある。

また、神社神道全体の伝統も一つの神社の伝統も踏まえて、慎重に新しい祭祀を創るべきだ。現在で発明された物や習慣を取り入れてもいいが、神道の神事を創ろうとすることを念頭に置くのを忘れてはならない。或る意味で保守的な創造である。神道の祭祀に漸次進化する姿は相応しいと思うので、革命的な変化を齎さないほうがいい。と言っても、一つの完全に新しい要素を神事に盛り込むことを否定しない。むしろ、その方法で神事が永遠まで生きる為の力を得ると思う。ただし、一気に受け継がれてきた形を一変することは避けてほしい。慎重で部分的に更新すれば、神道の神事であることはまだ明らかだが、不毛な骨格にならない。好例として、合格祈願や神田明神のパソコンお守りを挙げよう。合格祈願は、入学試験がなかった時代にはなかったが、神道の主流を汲む新しい祭祀だ。そして、パソコンのお守りは、お守りであるが、現代技術に向き合う。

神道界でこのような行動があったら、それは産霊の尊崇になると私が思う。

「神道の中の産霊」への2件のフィードバック

  1. 私は神道には詳しくないのですが、 更新、というのは面白いですね。

    現代の日本の社会条件にあったように”更新”しないで、ふるいものにしがみついているだけでは、その伝統は滅びていくだけですからね。

    やはり、伝統を活かしながら、新しい条件に適応してこそ、社会に根付いた、生きた伝統になっていくのでしょうね。

  2. @空様、

    全くその通りです。そして、神道や他の生きている伝統の歴史を探れば、このような”更新”が繰り返されたことが分かります。封印する愛で伝統を殺す恐れも充分あると思います。

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