幼稚園の準備

真由喜の入園が近づく。準備もほぼできた。制服と用具を買って、ゆり子が真由喜の名前を付けた。真由喜が数回幼稚園に見学や体験をしに行ったことがあるし、楽しみにしている。私もゆり子も幼稚園しおりを読んだので、制度などが分かった。お知らせメールのサービスにも登録した。来週の入園式のためにレッスンを一部キャンセルする準備もできた。残っているのは真由喜の幼稚園バッグの作成だ。なぜか、ゆり子がまだできていない。材料を買っておいたが、作成自体が延期に延期に。前日の徹夜になってしまわないように気をつけよう。

真由喜は保育園で集団生活や自立生活に慣れてきたので、心配はない。それに、みどり幼稚園が大好きなのようだから、本気で楽しみにしているようだ。がっかりしないといいよね。これで、生活リズムがまた変わる。真由喜が平日に幼稚園に通ったりしたら、私にもゆり子にも暇ができると予測する。私が仕事に使ってしまう恐れがあるので、休むことも重視しないと。真由喜にも新しい友達が待っているし、経験がより豊かになるし、真由喜の成長も期待する。子育てはいいね。

透明性

今回の原発の問題で東電の透明性が欠けると言う批判は多い。確かに透明性は重要なことだし、促進するべきだ。しかし、ちょっと考えたら容易な問題ではないことが分かると思う。

先ずは、危機の真最中の透明性には超えられない問題がある。それは、激変する状況のなかで、そして混乱する状況の中で、誰にも確実な情報はない問題だ。今の原発の危機で、一千万倍の放射線の発表は例になる。それは誤りだったが、発表した時に本当にそうだったと思ったのは疑えない。なぜなら、このような悪い状況を公表する理由は、隠せない事実だと判断下からしかないからだ。悪い方だけではなく、いい方でも誤ることがる。得た情報で安定したように見えても、実は制御室の把握されていない問題のせいで事実と外れた判断になる可能性もある。すぐに事実を見つけても、公表したら批判を浴びることにほかならない。つまり確実な情報をまとめる余裕はない状況で、有意義に透明にすることは極めて難しい。正直に言われても、信憑性は低いからだ。

そして、透明にする為に大衆に公表する役を担う人は必要だ。それは、人材の一部を使うことになる。それだけではない。公表する人に情報を伝達するために努力は必要だ。積極的に公表せずに情報を公開にする方法もあるが、誰かが情報を分析しない限り、有益な透明性にならないだろう。今回の危機でこの問題も見える。放射線の値が公表されても、1ミクロシーベルトの意味が分からない限り、そして検査方法の影響も分からない限り、数値の意味も理解できない。それに、公表された情報の誤解に悪影響がある場合は少なくない。例えば、今回の首都圏での買いだめが被災地への物資到達を送らせたと言われる。

これまでの問題で、危機の真最中に透明性が意味をほぼ失うことに覚悟して、そしてどうやって公開するかを事前に検討したら、乗り越えられる。透明性には自然な制限があるとしても、まだ原則として有益だと私が思う。しかし、最後の問題には、このような解決はない。

それは、透明性がどれほど普及するべきかという問題だ。極端な例にしたら、浴室の透明化には強い反発があるだろう。「公益に触れることに限る」と言えるが、ある行動が公益に触れるかどうか、行動を分析しないと分からない。当人に判断を任せたら、「触れない」と決める場合は極めて多いと簡単に推測する。だが、それを避ける為に公益と必ず関わることはもちろん、公益を損なう場合もあるケースにも透明性を強いる必要がある。だが、「場合もある」というのは、「損なわない場合もある」という意味が含まれるので、不要な透明性を求めることは避けられない。プライバシーや企業の競争力の面から問題になると思える。それに、一画をひいたら、なぜここで聞いたかと尋ねられたら、ちゃんと答えられない。ただの政治的な妥協になる。浴室の透明性に及ばないことはもちろんのことだが、一般の個人の行動に及ぶ可能性がある。例えば、皆の確定申告や納税歴を公開する透明化はあり得なくはない。

個人的に、現在の日本社会より高い透明性が望ましいと思うので、この問題と取り組んだほうがいいと述べたい。しかし、簡単な問題ではないのを言っておきたい。

「that」と「which」

「that」と「which」は両方関係代名詞だが、使い方が異なる。ここで簡単に説明したいと思います。

thatの前にコンマが付けられないが、thatの前の名詞は、thatに続く文章によって特定される。要するにthatの文章はなかったら、何について語るかが読者が分からない。例えば、The book that I bought yesterday is on the table.という英文で、昨日買った本はテーブルの上にあると言う意味だが、The book is on the table.だけと言ったら、どちらの本について語るか聞き手が分からない文脈で使う文章だ。

一方、whichの前二にコンマが付けられる。そして、whichの前に名詞は既に特定されている。whichに続く文章が情報を追加する。例えば、The book, which I bought yesterday, is on the table.と言ったら、The book is on the table.だけと言っても、聞き手がどちらの本について語っていることが分かる場面で使う。

これはアメリカ英語の場合だが、イギリス英語でコンマなしのwhichは、thatと同じ働きをする。それはちょっと紛らわしいだろうから、ここでアメリカの使い方に従ったほうがいいと思う。イギリス英語でも間違いではないので、安全の使い方だとも言える。

見ることしかできない

時間が経つ次第、胸の痛みが深まる。被災地からのニュースを見たら、徐々に事実を把握して、徐々に激甚災害の真意が分かってくる。警察庁が確認した死者と行方不明者の数が合わせて2万7千人を超えたが、家族が一気に飲み込まれた場合は多く予想されるので、大幅に増える恐れがあるとも言う。数字で規模が分かるが、数字は数字だ。理解させるのは、個人の状況を伝える記事だ。

被災地の小学校の卒業式で亡くなった子供の卒業証を台にそっと置く話。がれきになった家の前に立つ老人の写真。家族をまだ一生懸命捜す人の姿。流された家の写真の下に「家族の安否は確認されていない」との解説。

数字の意味は、このような話は数万あるというのである。想像できない。考えたくない。目をつぶって、自分の生活に没頭したくなる。

見ても、何もできない。県外ボランティアはまだ受け入れていないそうだし、食糧やガソリンを持参する人に限るが、車を持っていない私は、ガソリンがあっても被災地に赴くことはできない。ボランティアとして行こうとしたら、それはゆり子と真由喜を置いて去ることになるので、できるとしてもやるべきかどうかも不明だ。

本当にやるせなさだけが残っている。