今日の大地震で、家は幸い無事だった。皆様、無事でしたか?
よりによって、今日出張レッスンがあって、地震が発生した時に丁度御茶ノ水でレッスンが終わるところだった。揺れを感じたら、先ず「あっ、また地震だ」と思ったが、揺れが続いて、どんどん強くなって、いたところより安全な場所が近くにあったかどうかを確認した。結局なかった。もう窓から遠かったし、壁に近かったし、頭の上に垂れるものもなかった。そして、「震源はまた三陸沖ではないように」と思ったが、それが叶わなかった。揺れがまだ続けば、生徒さんと一緒に小さいテーブルの下で頭を隠した。
不思議なことに、全く怖くなかった。私の頭はおかしいのかな。確かに怖い地震があると思うが、震度5弱がそれにならないようだ。
揺れが終わったら、ゆり子へ無事のメールを送ろうとしたが、勿論接続できなかった。ちょっと様子を見ながら待ったら、余震があったし、結局ゆり子へメールを送れた。いつ届いたか分からないけどね。それから、できれば状況のメールを送り続けたが、ダメの場合は多かったことは当然だ。だからこそ、連絡はないことで心配しなかっただろう。連絡が取れない意味は、連絡が取れないことに過ぎないのがよく分かったので、余計な心配しなかった。
大きな余震の時、もう帰ろうとしたが、ちょっと歩きにくくなった。そして、地下鉄などの運転はもちろん見合わせだったので、歩くことにした。計画は、先ず大手町まで行って、そして半蔵門線に沿って行くことだった。そうなら、運転が再会すれば電車にすぐに載れると思った。そして、運転が再会しなければ、少なくとも進歩すると思った。
歩行者は勿論多かった。皇居を回ってから、永田町から大山街道で帰った。数万人が冷静に、元気にと言える場合もあったが、帰ったのは感動的だった。徒歩は車より早かったことは多かったので、歩いてよかったと何回も思った。それに、大山街道などの徒歩練習して良かったとも思った。先ずは、御茶ノ水から出発したら、10時までに帰宅できる自信を持ったので、出発できた。それは疑わしければ、バスなどを待つことになっただろうが、そうならまだ帰っていないと思う。渋谷でバスを待った人の数は凄かった。その人がもう帰っているかな。246を歩いたら、車より速かったが、二子玉川についたら車の動きがちょっと速くなった。

用賀についたら、やっとゆり子からの「真由喜も無事だよ」との確認メールが届いたので、ほっとした。急いで帰る必要がなくなった。帰ったら、真由喜が飛び出て、「ダディー!地震!」と興奮な顔で教えた。そして、テレビで地震のニュースではなく、機関車トーマスが欲しいと言った。大きな精神的な被害はなかったようで、良かった。家にも大きな被害はなかった。一番残念に思うのは、雛様の貝合わせの貝殻の一つが、倒れた紅白餅の高杯によって砕かれたことだった。(先週末片付ける余裕があったら良かったな。)それ以外、棚から本が降りたり、飾り物が倒れたりしたぐらいだった。(あっ、そして、置きっぱなしのコップのしたのコースターはびしょびしょだった。水がこぼれたようだ。)
東北は大変だが、私の生徒さんの安全が確認できたので、それもほっとした。日本国内最大の地震だそうだが、それなりに被害が少ないように祈って止まない。
コメント
“地震” への2件のフィードバック
ご無事でなにより!
歩いて帰るなんて、大変でしたね。
まだ余震が続くと思いますので、くれぐれもお気をつけて。
@敦子様、コメントをありがとうございます。幸い、家の災害はとても軽くて、「被災者」とは言えない。