今朝から真由喜の病気が治ったそうだし、ゆり子の風邪もちょっと軽くなったようだから、チャート家の様子が良くなった。それに、ゆり子がボンドで雛様の割れた貝殻も直したし、私が倉庫で被害はないことを確認したので、家の地震の被害は本当に軽かったと言える。感謝するしかない。
一方、時間が経つと東北地方の状況がより詳しく分かってきたら、心を痛むばかりだ。壊滅状態になった街の映像を見たり、避難した人の話を聞いたり、電気も、食糧も、飲み水もない孤立になった小学校などの上で災害を逃れた人を見たら、できれば一瞬も早く助けてほしいと思うが、救出の為に近づくことも大変であるのは明らかだ。そして、原発はもちろん、ガスタンクなどでの更なる被害のリスクも充分報道される。死者が一万人を超える恐れも指摘されてきた。
このような天災の規模を把握するには、時間がかかる。一昨日歩く帰り道の途中でそう思った。当時の気持ちはそんなに暗くなかった。周りの被害は少なかったし、皆が冷静に帰宅したし、ゆり子も真由喜も無事だった筈だった(そして確認ができた)ので、心配したり怖がったりすることはなかった。しかし、昨日と今日、家で東北の情報を見たら、どんどん落ち込んでしまう。犠牲者の多さに耐えるのは、傍らから見る人にも大変であれば、現地の人にはいかがだろう。手伝おうとしたら、まだ義援金を上げることさえできない。できることは、節電ぐらい。
この暗雲の中で光も差してくる。津波に流された人が沖の中で浮いた屋根の上から救出された。映像で流された電車が見えたが、アナウンサーが「乗客と運転手が救出された」と言う。壊滅になった街をヘリから見て、小学校の屋根の上に人がいれば、窓を見たら、中にもかなりの人がいた。だから、日本と日本人の天災に対する心の備えや装置の備えが日本人の努力を報ってくれて、人命を救うだろう。死者の推算が下がり始める可能性もあるだろう。それに、市民の冷静な対応を見たら、尊敬するほかない。政府や企業の即座の対応も感動的だ。もうひたすら人の助けを進めるし、更なる被害を防ぐように頑張る。海外からの支援も来ている。この周辺、どこのお店でも募金箱が設けられたので、被災者を助けようとする心は強い。日本人がこの災害からも立ち直れるのは明らかだ。
死者を弔う。そして、私にできることを、まだ生きている被災者に捧げたい。