見ることしかできない

時間が経つ次第、胸の痛みが深まる。被災地からのニュースを見たら、徐々に事実を把握して、徐々に激甚災害の真意が分かってくる。警察庁が確認した死者と行方不明者の数が合わせて2万7千人を超えたが、家族が一気に飲み込まれた場合は多く予想されるので、大幅に増える恐れがあるとも言う。数字で規模が分かるが、数字は数字だ。理解させるのは、個人の状況を伝える記事だ。

被災地の小学校の卒業式で亡くなった子供の卒業証を台にそっと置く話。がれきになった家の前に立つ老人の写真。家族をまだ一生懸命捜す人の姿。流された家の写真の下に「家族の安否は確認されていない」との解説。

数字の意味は、このような話は数万あるというのである。想像できない。考えたくない。目をつぶって、自分の生活に没頭したくなる。

見ても、何もできない。県外ボランティアはまだ受け入れていないそうだし、食糧やガソリンを持参する人に限るが、車を持っていない私は、ガソリンがあっても被災地に赴くことはできない。ボランティアとして行こうとしたら、それはゆり子と真由喜を置いて去ることになるので、できるとしてもやるべきかどうかも不明だ。

本当にやるせなさだけが残っている。


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