大山阿夫利神社御分霊鎮座

朱塗りの鳥居から太い注連縄が垂れるが、奥に社殿などが見える大山街道の目的地は、大山阿夫利神社{おおやまあふりじんじゃ}大山阿夫利神社だが、この御分霊鎮座が江戸時代の信仰で重要な役割を担ったそうだ。交通手法はまだ徒歩だった時代に本社までお参りすることに時間も努力も必要だったので、生活の中で頻繁にお参りできるわけはなかった。だが、この分霊鎮座が江戸により近いところにあり、江戸の郊外からお参りができたそうだ。それに、本社へお参りする人がこの鎮座でお祓いを受けたとも言われる。二百年前にそうだったかもしれないが、私がお参りした時にだれもいなかった。実は、境内は狭くて、民家の前庭の隅にあったように見えた。到着した時に、一瞬民家を神社だと思った。

境内は狭いとは言え、管理は大変良かった。玉砂利が奇麗に地面を覆ったし、社殿には彫刻が施された。拝殿のほか、手水舎や授与所もあったし、彫刻が豊富な祠に金運と長寿の神としての大国主神と出世の神としての大閤豊臣秀吉公霊が祀られた。拝殿は広くなかったが、席が並んでいたし御幣も見えたので、ご祈祷を執り行う場合があることは明らかだ。境内の庭も手入れされることは見逃せなかったので、本社がこの分霊鎮座の維持に力を注ぐのではないかと思った。

それでも、予想より小さかったので、印象にはなにかが欠けるような気がした。鎮守の杜が松の数本に留まったし、それにその松は庭に育てられた松だから、大自然の雰囲気はなかったことに一つの理由があるだろう。そして、奇麗だったものの、美術館のような美だった。つまり、生きている印象はあまりなかったように感じた。神職がいる日にお参りしたら雰囲気が大部違うと思うが、人影はなかった日には、寂しいとは言えなかったものの、保管された印象だった。


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