今年度の國學院大學のオープンカレッジの神道を知る講座のテーマは、神道の古典だ。今日の第一回のテーマは古事記だったが、最後に柳田国男氏の論文に及ぶそうだから、「古典」をかなり広い意味で捉えられている。昨年度とその前の21年度と違って、今年度複数の教授が講座を行うことになった。岡田先生がまだ監視するそうだが、今日の講演は、笹生先生がした。笹生先生の専門は、宗教の考古学だそうだから、『考古学から読む古事記』という題になった。
古事記は長いので、すべてを語ることはできないが、一番有名な天岩屋戸の神話のところを読んで、説いてくれた。神話に登場する行為や物を、出土品に合わせて、どのように歴史の事情を表すかを検討した。
先ずは、スサノオの罪から始まった。畔や灌漑の為の溝がある水田は、弥生時代から日本にあったそうだから、スサノオの最初の乱暴が農耕の状況を反映するという。そして、スサノオが
そして、天照大神が岩屋に閉じ篭れば、引き出す作戦に使われた物や祭祀の形も考古学の成果と合わせたら興味深い結果があるそうだ。先ずは、鶏を鳴かすことがあるが、4世紀から古墳で鶏の埴輪が見つかるそうだ。一方、弥生時代に遡れば、サギやツルの絵画が見られるので、鶏が祭祀に現れるのは、4世紀以来だろう。そして、供物の整備で、鉄で作られたものがあるが、これも5世紀の祭祀遺跡から出土されることがある。これは、典型的に千葉県千束台遺跡だが、この遺跡で祭祀の遺跡の中心に柱があったようだそうだ。これが伊勢の神宮の心の御柱に相当すると言えるだろう。このところには鉄の材料や作成の途中の物も出土されたので、祭場に近く作られたようだそうだ。それに、勾玉も出てくるが、勾玉が5世紀代から祭祀遺跡から出土されるそうだ。鏡も勿論重要な役割を担うが、鏡は3世紀以来重要だったようだ。最初は中国からの輸入品だったが、5世紀までに日本で作るようになったそうだ。神話で、この供物の捧げ方は、榊から垂れることだが、出土品には小さな孔があるそうだから、これも5世紀の祭祀を反映するようだ。
重要なのは、占いの仕方だ。古事記の神話で、鹿の肩骨を使うが、考古学の成果で、これは紀元前2世紀から5世紀まで使った方法だそうだ。6世紀以降、亀の甲羅を使うようになったそうだ。
要するに、伝説で馬が出てくることから、5世紀以来の状況を反映することが分かるし、鹿の肩骨の占いから5世紀以前の状況を反映することも分かる。つまり、この神話が伝えるのは、5世紀の祭祀の状況だと言えるそうだ。すべての様子が5世紀の遺跡の出土品と関連するが、その前とその後の祭祀遺跡と相違点があるようだ。5世紀に大和朝廷が初めて日本の古代の枠組みを建てた時期だから、重要な時期だったようだ。
これまで、笹生先生が言ったことだが、これから私の解釈になる。このブログで前にも述べたが、私が神道の発祥時期として5世紀説を唱える。この講演で聞いた証拠もそれを固めるなのではないか。確かに5世紀以来変化は多いが、「神道」と呼んでも差し支えない宗教が5世紀にあったと言ったほうがいいと私が思う。4世紀以前なら、プレ神道と言った方がいいが、5世紀から神道の変貌を検討することができる。これほど興味深い内容が十回に及べば、私が大変喜ぶ。