下鶴間諏訪神社

神木の向こうに神社の拝殿が見える下鶴間諏訪神社{しもつるますわじんじゃ}の鎮座地が大山街道からちょっと離れるが、大山街道に「諏訪神社への近道」との道標と出会ったので、場所と時間を検討して、寄り道してお参りできることに判断した。本当にお参りしてよかったと思う。この神社の雰囲気は、とてもいい。

神社の規模は中ぐらいだと思うが、本社に加えて境内末社が四つあるし、玉垣に囲まれた旧鎮座地のところもある。境内は公園と連なるし、鎮守の森には空に聳える木々は多い。それに、神職が駐在して、御朱印も頂いて、大山街道を歩く計画についてもちょっとお話ができた。

境内の仕組みはちょっと珍しい。先ずは、私が入った参道が大きな鳥居をくぐって、社務所を通って境内の奥へ進むので、表参道のような印象だったが、社殿が右側に配置された。それに、本社の社殿も、稲荷神社などの末社も、旧鎮座地のところも、横並びした。それだけではない。社殿の写真を撮ったら気づいたことは、社殿はすべて北向きだ。普通に、神社が南向きか東向きかに建てられるが、例外があるのは当然だろう。神道なら、何の一般論でも例外があるからだ。この場合、この地域で有名な例外は武蔵の国の惣社の大国魂神社だが、それも北向きだ。この下鶴間諏訪神社の参道が東へ進むので、社殿がもともと参道に向かったとしても、西向きになるので、それも例外だ。北からの参道があった可能性もあるし、西からの参道もあった可能性があるが、また現地調査しないと分からない。

この神社は、案内板によると建立の年代は不詳だそうだ。式内社の石盾尾神社であったとされるが、鎌倉中頃に諏訪神社として祀られるようになったとも言われる。しかし、江戸時代初頭から栄えて、今大和市指定重要文化財を持っているそうだ。(重要文化財というのは、神像と剣道流と関わる奉納額だそうだ。)駐在する神職は栄えの証拠の一つであると言えるが、境内の整備も良かったし、本社の拝殿には丁寧に施された彫刻もあったので、支援される神社であることも分かる。稲荷神社には特別な信仰があることも推測できる。朱塗り鳥居もあるし、石造の玉垣もあるし、狐の石像もあるからだ。

だから、雰囲気の原因を探れば、複数の要素が見える。まずは、歴史がある神社であること。そして、境内には大自然があること。それに、設備がちゃんとされていること。最後に、活気があること。それは、駐在神職だけではなく、祭などが執り行われる証拠も含める。といっても、所詮直感になる。理由がはっきり言えなくても、この神社にまたお参りしたいと思う。


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