よく聞かれる親の愚痴は、子供が言うことを聞かないというのだ。確かに親の指導に従わない場合は少なくないが、それは本当に問題なのか、私が疑う。
子供は親や大人の奴隷ではないので、親が言うだけで従う義務が発生するわけはない。もちろん、子供が世界を分からないので、指導する必要があるし、強制的に従わせる必要も時々ある。物理的に精一杯叫んでいる子供を捕まえて持つことが必要になる場合も少なくないだろう。確かに私がそのようなことを覚える。しかし、それは子供がしようとする行為は危険だとか、他の人に傷を付けるとか、大変迷惑になるか、自分の将来を大きく損ねるなどの場合だ。危険を避けることや自分の将来を守ることは明らかに教育の一部であるが、周りの人に迷惑などをかけないことも教育の一部だ。人間と共存しないといけないので、その方法が分からなくてはならない。
一方、親がすぐに別なところにいきたくても、子供がもう少しいる場所で遊びたかったら、親の意志を必ず優先する根拠はないと思う。だから、自分の意志を表現できるようになった子供は、そしてそれはもう三歳で十分だし、交渉や説得や妥協は必要だと私が思う。勝手に何かをして、子供の服従を期待するのはダメだ。むしろ、親が自分のやりたいことを説明して、そして子供のやりたいことを聞いてあげて、それからそれを踏まえて妥協案を作り上げるべきだ。子供がわがままでできることにならないのは明らかだ。妥協なら、子供の意志のままにもならないからだ。妥協に従えば、比較的に子供が応じるとも思える。自分が欲しいことの一部を気持ちよく確保できることに気づくし、子供が基本的に親のご機嫌が欲しいので、積極的に対応する場合もある。少なくとも、真由喜はそうだ。妥協はできない場合、理由を説明したら子供が従ってくれるだろう。これも、真由喜の場合で見える。バスに遅れるなどの理由で、すぐに出発する場合は多い。
これは私の考え方だが、子供を人間として扱う方法だと思う。大人として扱わないが、(例えば、幼稚園にいかないと真由喜が言っても、病気ではない限り許さない)子供がお友達と同じように接したら上手くいくと思うし、大人になっても同じ方法を続けてもできる。いい方法であるかどうか、二十年後の結果を待つしかない。