案内板によると、この
神社の境内は広いし、木々も結構あるし、社殿はスタンダードであるものの、ちゃんとしたものだ。社務所や神楽殿のような建物もあるので、完備した神社だといえる。それに、私がお参りした時に人が社殿で何かの用事をしていたので、近所の人によって崇敬されているようだ。それにしても、いい雰囲気を感じなかった。条件が揃ったと思えるが、それでも直感は普通だった。海老名市の総鎮守であるのに、厚木市に近いので、一日の散歩の最後のほうだった。要するにお参りした時にもうかなり疲れていたので、それが印象をちょっと損ねたかもしれない。
客観的に見れば、興味深い点が一つあった。それは、境内に鐘が整ったことだった。鐘は、原則としてお寺に整える設備だから、神社では珍しいと思った。しかし、次の大山街道の散策で、鐘がある神社は多かったので、もしかしてこの地域の習慣の一つなのではないかとも思った。まだ謎のままであるのは、どうやって鐘を使うかということだ。殆どの神社にはない設備だから、普通の神事には使われていないことは当然だ。使うかどうかさえ不明だが、鐘をわざわざ備えたら、使わずに放置するわけはないだろう。
式内社や総鎮守であるのに駐在神職はいないことでちょっとがっかりしたが、確かに神職一人が神社を七か八かで奉仕する必要があるので、仕方がないだろう。しかし、神道の活性化を考えたら、神職が駐在することはかなり重要であると思うようになった。