もうすぐ40歳になるのに、中年の気分はないと感じることは最近ある。本当に私がこの年齢に達したのかとも考える。この気持ちは一般的なのようだ。でも、よく考えたら、当たり前だ。
私は、今年初めて40歳になる。はっきり言ったら明らかすぎるだろうが、今まで40歳の気分を味わったことはない。だから、中年であることがどう感じるか、分かった筈はない。ほかの人を見ても、外見や振る舞いが分かるが、心の中の気分が伝わらない。私は十代だったとき、周りの中年の人の気分はどうだったか、想像したに過ぎない。その想像には、根拠はそもそもなかったので、間違えたのは決まっているだろう。それだけではない。中年の人間の気分には、共通の要素があるとは限らない。もちろん、誰でも全く同じ気分になるとは思えないが、それより共通する要素は何もないとも思ってもいい。
だから、今「中年の気分はない」と思ったら、詳しく何を思っているのだろう。つまり、何の気分はないと思っているだろう。私はもう中年だから、私の今の気分は中年の気分だ。それは定義上に決まっていることだ。中年になったらどのような気分になると予想しているだろう。「もう老けたな。これから死を待つしかない」ということか。それは勿論ない。では、「もう経験を積み重なって、偉くなった。私の智慧で沢山の人を助けよう」とか。それもないだろう。詳しく内容を考えようとしたら、「中年の気分」が思い浮かばない。漠然とした概念に過ぎない。
要するに今中年の気分を感じるが、青年の気分とそれほど大きく変わらないことを発見した。