今日の國學院大學の神道講座が古事記から古語拾遺に移った。講義したのは、一回目と同じく笹生先生だった。
笹生先生によると、古語拾遺の拝啓には権力争いがあるそうだ。大和朝廷で、祭祀を司る氏族が三つあったそうだ。氏族がそれぞれ古事記の天の岩屋の神話で登場する神を先祖としたが、氏族によって神が異なった。齋部氏がアメノフトダマを祖先としたし、猿女氏がアメノウズメを祖先としたし、そして最後に中臣氏がアメノコヤネを祖先とした。『日本後紀』によると、806年に齋部氏と中臣氏の間に誰が幣帛を神社に運ぶかについての訴えがあったそうだから、平城天皇の命で齋部廣成が古語拾遺で齋部氏の正統性を強調した。11条で古からの正しい伝統が廃られたを訴えたそうだ。実は、ほぼ同じ時期に天皇の食事を司る氏族の間にも同じような争いがあったそうだが、その場合にも高橋氏の代表が文書を書いて提出したそうだ。このことから、8世紀末から9世紀頭の時期で大和朝廷で奉仕した氏族の再編が行われたことが窺えるそうだ。
古語拾遺の内容と言えば、以下の通りだそうだ。先ず、齋部氏の由来を説明するそうだ。そして、フトダマが率いる神々を紹介して、天岩屋の神話を詳しく説明するという。それに、フトダマと関連する神々が幣帛の政策を司ることも強調したそうだ。最後に、延暦期まで齋部氏の歴史を語るという。それに、中臣氏の批判もよく見える。その批判は、中臣氏が朝廷の祭祀の権利を握って、神社は小さくても、中臣氏と由縁あれば朝廷の篤い信仰を受けるが、中臣氏と無縁であれば、大きな神社であっても、朝廷に無視されると訴えた。そして、齋部氏を任命されるべきポストから除外するなどの苦情も多いそうだ。これは祭祀制度の形成の研究には興味深いし、それに加えて記紀には見えない伝承も多く記載されるそうだ。だから、古代の神道の祭祀と伝承について貴重な情報が沢山載っているそうだ。
では、笹生先生が三つのポイントをピックアップして、考古学の裏を紹介してくれた。先ずは、齋部氏と朝廷の蔵の関係を説明した。古語拾遺によると、齋部氏が神武天皇の時代に朝廷の最初の蔵を司ったそうだ。この蔵を「
考古学の成果を見たら、5世紀代に祭祀遺跡から蔵の遺跡も見つかったそうだ。これは、東国(現在の千葉県)、東海(現在の静岡県)、そして大和(現在の奈良県)から出土された。蔵の扉を再現したら、伊勢の神宮に現存する蔵の形と酷似だそうだから、5世紀代から蔵が祭祀と関わったようだ。それに、同じ時代から難波などから大蔵の遺跡も見つかったそうだ。
それに、同じところで、秦氏が絹を奉って、それが剣に巻かれたそうだが、また5世紀代から木造の剣と絹の道具が祭祀遺跡から出土されたので、これも5世紀代の状況を伝わるようだそうだ。この点も、第1回の古事記の祭祀が5世紀の様子を描かれたことと合致する。
そして、7世紀の話になるが、古語拾遺によると齋部氏が7世紀半ばに当時の
この証拠を合わせると、7世紀半ばに律令制の成立の画期だったことが推測する。だから、その時期で天皇を占うために最先端技術の亀卜を使ったようだそうだ。
最後に、千葉県の安房国との関係について話してくれた。これは天富命の話になるそうだ。この神が四国の阿波国から房総半島に向かったが、到着したら国を開拓したそうだ。それで、麻を植えたそうだ。麻は古語で「ふさ」と言ったのでこれがふさの国になったそうだ。関東には三つの神戸があったそうだが、それは鹿島神宮、香取神宮、そして安房神社に属したそうだ。安房神社の発掘調査の結果を見れば、境内から5世紀代の出土品があるので祭祀が5世紀まで遡るかという。これもまた現在の神道と直接に繋がる祭祀が5世紀に始まったことを示唆する。
今日の講義も興味深かったが、古語拾遺を読まなければならないことも分かった。現代語訳が付いている書物を探す。