「一定のめど」で曖昧さを極まる

不信任決議案の採決を臨んで、今日正午に菅首相が辞任の意向を表明したそうだ。ただし、いつも辞任するかというと、東日本大震災に一定のめどがついた段階だそうだ。それは、いつなのだろうか。ある意味、もう一定のめどがついたと言える。余震が少なくなったし、物資の搬送も順調になっているし、仮設住宅の建築も進んでいる。だから、即座辞任する意味のだろう。そうではないと思うけれども。では、いつ?

計画によると、お盆までに仮設住宅の建築が完了するそうだから、8月中旬に辞任する予定かといえば、それも候補だろう。

一方、東電の工程表によると、福島第一原子力発電所が安定した冷却された状態になるのは、確か9月ぐらいだったので、9月に辞任する方針だろう。収束は遅くても来年1月だそうだし。

勿論、「一定のめど」が「完全な回復」を指さないが、完全な回復の前に総選挙を行う義務があるので、辞任の話にならない。選挙で負けたら、辞任できないし、選挙で勝ったら、辞任すべきではない。

朝日新聞によると、造反防止の狙いが叶ったそうだが、それはなぜなんだろう。このような曖昧な約束が政治家の口から素直に受け止めたら、信頼感の極致を表す。菅首相がそれほど民主党の信頼を受けるはずはないだろう。だから、ちょっと不思議に思わなければならない。

それに、朝日新聞によると、「若い世代の皆さんに色々な責任を引き継いでいただきたい」と言ったそうだ。この言葉の狙いは明らかだろう。小沢氏以外な人を後継者として見ているということだろう。誰を思っているかは不明だが、今までのトロイカが表舞台から後退する意向も示されているだろう。

それはそれで、日本が真由喜の4歳の誕生日の前に真由喜が生まれてから6人目の首相を迎えるようだ。ところで、イギリスは、今私が生まれてから8人目の首相だ。


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