火曜日に内宮に参宮する計画だった。神宮会館に泊まったら、遠日にフロントへ申し出れば、早朝参宮に参加できるので、私が参加した。6時半の集合だったので、ゆり子と真由喜を部屋で寝たままにして一人で行ったが、天気はまた最適だった。麻の空気もきれいだったし、優しい日差しもあったし、それに7時前に参宮する人は少ないので、神宮の境内の雰囲気をちゃんと味わうことができた。
神宮会館の方が沿って、案内してくれたので、神宮の情報も得た。既に知っていた情報もあったが、新しい情報もあった。例えば、五十鈴川を渡る宇治橋が正殿の遷宮の三年前に建て替えられる理由は、終戦直後式年になった遷宮ができなかったが、少なくとも宇治橋を建て替えることにしたし、三年後遷宮もできた事情があって、今二十年を置いて宇治橋を三年前に建て替えるそうだ。同じように、神宮で供えられる清酒を、法律上神宮で作ることはできないので、会社から取り寄せるそうだ。その会社は、神戸市の白鷹だそうだが、その理由も大東亜戦争の時にあるという。戦前、多くの会社が神宮にお酒を奉納したそうだが、戦争で状況が次第に厳しくなって、会社が奉納を止めることになった。最後まで奉納し続けたのは、白鷹のみだったそうだ。だから、戦後の状況が落ち着いても、報いとして神宮が供えるお酒を専ら白鷹から買うことになったそうだ。
このような新しい伝統の発生はとてもいいと思わないか。伝統そのものを見たら明らかな理由はないが、自然に歴史の状況に応じたから発生したので、本当の伝統だと言えるのではないか。企てた伝統の変更を慎重にしたほうがいいが、このような余儀なくされた対応を歓迎するべきだというのは、私の意見だ。
では、参拝から帰ったら朝ご飯を食べて、チェックアウトの手続きを終えたら、また参拝した。今回、家族での参拝だった。真由喜は、半分元気、半分甘えん坊で、抱っこを求めたり、走り回ったりした。内宮でも御朱印をいただいて、特別参拝した。特別参拝の手順は、外宮と同じですので、今回参拝する前に真由喜の名前を記入する許可を得た。その結果、真由喜が素直に参拝に参列してくれて、作法にちゃんと従った。一瞬お猿のような拍手を使用としたが、改めて正しくしてくれた。
垣外から特別参拝をする人が見えるので、ほかの参拝者が真由喜に手を振った。それを見たら、真由喜が答えた。その人が何を思ったのだろう。確かに私が初めて参宮した時に、なぜ人が垣の中に入るか不思議に思った。
参宮してから、おはらい町通りとおかげ横町に散策した。ゆり子も真由喜もお土産を買ったが、ゆり子が松坂木綿を見ていた間に和太鼓の演奏が始まったので、真由喜と一緒に見に行った。真由喜は演奏に夢中になって、最後まで十分ぐらいじっととして聞いた。一回だけ私を見て「速い!」と呟いた。これも真由喜の音楽活動の候補の一つだよね。
伊勢から名古屋までの電車のなかで真由喜がずっと眠ったので、私とゆり子は楽だった。名古屋で起きたら、勿論ちょっとぐずったが、新幹線に乗ったらまたご機嫌になったので、楽しい家族旅行だった。それに、私に神宮の雰囲気や伝統が大好きだと言うことが確認できた。七年以内また参宮したいと思う。