よくある表現は、「彼は日本人っぽい」とか「イギリス人らしい」などがある。しかし、よく考えたら意味は全く不明だ。
先ずは、当たり前のことから始めよう。どの人類でも、どの国籍でも、人間の性格の多様性は顕著だ。具体的に日本人の場合を考えよう。日本に住めば、日本人の多様性は明らかだ。それに、誰かが日本人であれば、日本人らしくないと言ったら、何の基準を使っているだろう。
一つの広報は典型的な日本人が基準になることだ。しかし、日本人を代表する歴史的人物を考えたら、例えば弘法大師、紫式部、源義経、豊臣秀吉、松尾芭蕉、福沢諭吉を挙げよう。この人の共通点は、何だろう。秀吉に近づければ近づくほど、紫式部から遠ざかるのではないか。一方、豊臣秀吉は日本人らしくなかったとか、紫式部は日本人らしくなかったなどとは言えないのはいうまでもない。だから、これが基準にならない。
では、日本文化はどうだろう。日本文化って、能楽か、歌舞伎か、宝塚か。源氏物語か、我輩は猫であるか、ワン・ピースか。墨絵か、北斎か、AKB48のグラビアか。現代の東京で周りを見たら、いずれも最後の候補だが、能楽は日本文化ではないとも言えない。文化勲章を授かった人が日本文化を結晶しないと言うのは明らかに間違っている。だから、日本文化が基準にならない。
そうではなかったら、思い込みに過ぎないだろう。外国で日本人が外国人を嫌う風評も一人歩きするが、私の体験に限り、そうではない。むしろ、寛容的で潔く受け入れてくれる。それで、日本人の殆どは日本人らしくないと言えるのだろうか。こうなってほしい模範があったら、それはいいけれども、この模範を「本当の日本人」と名付けるには根拠はどこにあるのだろうか。
他の民俗も同じだ。私は、イギリス人だが、紅茶は好きではない。友人のユダヤ人は金髪で青い目。
「日本人のようだね」と言われたこともあるが、意味不明でどうやって答えたらいいか分からない。ふざけて「この鼻、見えないの?」、と。人なら、「何々人のようだ」と言っても、何も伝えないと思ってきた。
コメント
“何々人っぽいって、どういう意味のか” への4件のフィードバック
>ふざけて「この鼻、見えないの?」、と
→ハハハッ
何人っぽいとか、とか、何人ぽっくない、というイメージは多かれ少なかれ、一般大衆のなかに、各国あるのでしょうね。
極端な話、”黒人”ばかりのアフリカのある国に私が行ったら、私がその国の人間らしくないことは一目瞭然なわけで、移民が多いといわれる国でもーー私のブログでも何回か取り上げたことがありますがーーー、例えば、アメリカ、イギリス、カナダなんかではいまだに”白人”が典型的で、それが典型的アメリカ人、あるいは、典型的イギリス人、あるいは典型的カナダ人、ということなるのでしょう。
おっしゃるように、こうした「らしさ」は曖昧なイメージであり、論理性はなく、「らしさ」のイメージが一般大衆にどのように変遷していくかは、その社会の人口構成、その歴史、その構成グループの力関係などによって時代とともに変わっていくものなのだろう、と思います。
日本では、日本人より日本人っぽい外国人などと言われるひとがいる。こういう人は、大方の日本人が忘れてしまったような日本の伝統的な美徳をもっていたり、大方の日本人が重要視していない、ある日本の伝統的慣習を高く評価している場合なんだろう、と思います。
外見上の日本人、という意味で言えば、肌の色からすれば、浅黒いのから、白いのまでの範囲で、背丈もそれほど大きくなく、顔立ちも淡泊で濃くないのが従来の日本人らしい、日本人なのでしょう。
ちょっと心配なのは、外見がこの範囲からはみ出る子供たちで、世間から日本人と思われなくて、思春期の一過程でこれに関連して、アイデンティティクライシス(Identity crisis)ーーーこの時期それでなくてもそうした危機に陥りやすいわけですがーーーに直面するかなとも懸念しています。
空様、いつもコメントをありがとうございます。
そうですね。少なくともイギリスとアメリカには同じ傾向があります。
私もそう思います。しかし、そうなら、そのような伝統を重視することは、日本人らしくないのではありませんか。ですから難しい問題になりますね。
そうですね。外見が「何々人らしさ」に大きく貢献すると思いますが、一番浅くて論理性のない根拠でしょう。外見で日本人と韓国人を区別することは極めて難しいですし、イギリス人とオランダ人も同じですし、イギリス人とアメリカ人の間に区別がつかない場合も少なくありません。そして、背が高い日本人なそには、アイデンティティグライシスの虞れも確かにあります。
ありがとうございます。
カナダについては、私のブログでは、
あるいは、動画ですが
などを取り上げました。2.55当たりから彼の息子さんがどのように認識されるかの話題があります。また、動画のコメント欄なども参照にしてみてください。
たしかにあまり論理的とは言えないでしょうね。
話者のなかでは、現にある日本人ではなく、あるべき日本人が念頭にあるのか、あるいは、本質ー現象 伝統的日本人ー現在の日本人 のような形で、伝統のなかに、日本人の本質のようなものをみているのかもしれない。
因みに、私は、本質主義者ではありません。
家族的類似性(family resemblance)があり、それで十分だと思います。
イギリス人とアメリカ人については私などはほとんど区別が付かない。発音を聞いたら、なんとなくわかるかな、と言った程度です。それといわゆる南米出身者といわゆる”白人”のアメリカ人などでも区別がつかない。
以前、私のブログで、
MSNBC Regular Donny Deutsch Slams Marco Rubio With Racially Charged Attack: He’s a ‘Coconut’
http://newsbusters.org/blogs/scott-whitlock/2010/02/23/cnbcs-donny-deutsch-slams-marco-rubio-racially-charged-attack-hes-co
という記事を取り上げたことがありますが、
この方、
http://en.wikipedia.org/wiki/Marco_Rubio
はいわゆるアメリカの普通の”白人”と同じに見える。
雪の分類がエスキモーEskimoと他の地域の人では違うように、肌の色や人の分類は、その社会のなかで歴史的に進化・変遷していきたものなのでしょうね。
大衆がいだく日本人像についても、これからも変わっていくだろうと思います。
@空様、いつもありがとうございます。リンクが参考になりました。特に、動画と動画のコメント欄。私の経験は、動画で出てくる人の経験とちょっと違いますね。受け入れていただいたような気がするからです。一方、コメントで表現された意見は本当に多様ですね。
確かに、「何々人らしい」と言う人は、理想を掲げる場合は少なくないと私も思います。理想の内容は不明なままですが、単純に現代の何々人を描写するつもりでありませんね。
ところで、Rubio氏は、私の目にもアメリカの典型的な白人に見えます。