論理力

論理力と言うのは、何だろう。今日の打ち合わせをきっかけにこの問題をちょっと考えた。「事実を把握して理解する能力、そして事実を説明する能力」と言えば、非常に基礎的で広い能力だよね。ある意味でそう言いたいのだが、広すぎて、論理力を具体的に定義しないだろう。漢字を見れば「論の理の力」をヒントとしたら、「言語で表されたことを理解する能力、そして言語で状態を表現する能力」だと言えよう。

しかし、こういえば、狭過ぎると思ってくる。なぜなら、言語で状態を表せるようになる前に、論理力を発揮して頭の中で整理する必要がある場合は多いからだ。この整理が言語の使用に先立つので、論理力を言語と定義的に結びついたら、この能力が論理ではなくなる。納得できない。

一方、実物の詳細のところを感知する能力は、事実を把握する能力の一部であることは否めないが、論理力の一部ではないと言いたい。目が不自由な人には、目に問題があるからと言って、論理力の障害がある証拠はない。しかし、視力に対応する詳細を感知することが大変難しくなると思う。それに、物事の理解には、記憶力が大きく貢献すると思うが、記憶力と論理力が異なると思うのは当然だろう。もちろん、記憶力は全くなければ、論理力を発揮することが無理になるが、問題の最初さえ覚えられないからだが、優れた記憶力と劣った論理力が一人に共存する状態は想像しやすいだろう。

言語は狭すぎれば、その代わりに「象徴されたこと」にすればいいだろう。(日本語には用語があるだろうが、私に分からない。)頭の中で言語にする前に脳の象徴構成を使うので、言語で表す為の整理がまだ論理力の範疇に当て嵌める。そして、記憶力を除外するために、論理力は、理解や表現のために、象徴を整理したり変化させたり能力だと言えるだろう。こういえば、脳の働きの全てにならないので、特定された能力を指す。

しかし、まだまだ非常に基本的で広い能力だよね。論理力は本当にそうだと私が思う。人間なら、或る程度論理力を持つのは決まっているが、鍛えたら何の仕事や生活をしても、役に立つと思う。この意見は、、哲学を専門とした経歴がある私には当たり前だろうが、それでも本当にそう思う。


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コメント

“論理力” への1件のコメント

  1. 空のアバター

    用例について、

    日本語でいうと、「論理力」ーーーこれも間違いではないーーーというより、「推論能力」「推理(能)力」に近いかもしれませんね。
    例えば、次ような用例があります。
    Nature Highlights: サルも「確率的推論」を行う
    http://www.natureasia.com/japan/nature/updates/index.php?i=57345

    >言語は狭すぎれば、その代わりに「象徴されたこと」

    この文脈で言語の言い換えとしては、「シンボル」・「象徴」でしょうね。

    象徴 (ウィキ)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E5%BE%B4

    ここらへんの文章が用例として参考になるかもしれません。