大衆の便宜の為に子供の命を犠牲にしてもいいだろうか。
良くないよね。当たり前だろう。
では、どうやって私有乗用車の禁止令を導入したらいいだろう。
この繋がりは不明かもしれないので、説明させていただく。
先ずは、私有乗用車が引き起こす交通事故で子供が犠牲になるのは周知の通りだ。飲酒運転、居眠り運転、過失などの原因は様々だが、結果は否めない。
一方、私有乗用車が便利さをもたらすしかない。持っていなかったら、仕事や生活はまだできる。今なら、山村で公衆交通機構はないだろうが、私有乗用車はなかったら、交通網がすぐに山村まで及ぶ。需要が増えれば、供給も増えるからだ。宅配便などは、商用車で行われるし、タクシーは私有ではないので、公衆交通機構が足りない時にまだ選択肢がある。だから、不便があるが、無理はない。
それに、運転手は皆プロであるとすれば、交通事故の件数が減るはずだ。運転の技能が高まることを期待できるし、私生活には自由を侵す装置は、職場で適切であることも多いので、運転席に着く前に飲酒の状況を確認する装置もいいし、様々なチェックが可能になる。だから、交通事故でなくなる子供の人数が減ることも期待できる。
だから、便利さのために子供を犠牲にするべきではないと認めたら、私有乗用車の禁止を認める。同じ内容だ。だが、「私有乗用車を禁止した方がいいのか」と訊いたら、首肯する人はごく僅だと思う。
質問の聞き方を説得する方法として考えることは普通ではないと思うが、大変重要だ。自分に都合がいい答えを導く状況を思い浮かばせる表現を使ったら、大半に首肯をしてもらえる。だから論争で、最初に質問を決める方は有力だ。
(最初の質問に対して、私は、子供を親の失業がもたらす貧困から守るべきだと思うので、すぐに私有乗用車を禁じるべきではないと思う。)