坂十仏『伊勢太神宮参詣記』〜神道を知る講座VII第6回

昨日國學院大學オープンカレッジの神道講座が開かれた。今回は、岡田先生が中世の書物を紹介した。講座が取り上げる文献の中、一番無名かと言ったが、そうだろう。講義の前に聞いたことのない文献だったのは確かだ。

{さか}十仏{じゅうぶつ}という人は、室町時代初頭の医者で、足利尊氏の侍医だったそうだ。息子の坂士仏{しぶつ}も足利将軍の侍医だったそうだし、長い間この文献は士仏の著作だったと思われたそうだが、年代が合わないことが明らかになった、十仏が作者だったことが明らかになった。タイトルから分かるように、伊勢の神宮への参宮についての文章だが、伊勢神道の成立に大きく関わった外宮の禰宜の度会{わたらい}家行{いえゆき}の話がよく出てくる文献だから、伊勢神道を分かる為に貴重なのようだ。

文献の話に入る前に、岡田先生が背景をちょっと説明した。神社への参詣が習慣になったのは、900年ぐらいからだったそうだ。最初は、熊野三社が盛んになったが、伏見稲荷も1000年までに都の女性参詣が盛んになったことは、平安時代の名作にも記されている。神宮は、皇族の祖神を祀る神社で所謂「私幣禁断」があった。皇太子さえ幣帛を奉ることはできなかった。そして、仏法禁忌もあった。にも拘らず、僧侶が神宮への参宮をした記録は多い。岡田先生によると、貸し鬘があったそうだ。要するに、お坊さんが鬘を冠って、私服にして参宮したようだ。

さて、十仏の参宮が1342年に執り行われた。神宮に至る前に斎宮院の跡地を訪れたそうだが、もう荒廃になっていた記録がある。鳥居が倒れたことを言って、寂しい風景を描写する。斎宮の制度は、1334年に終わったが、戦乱の為にその前にもちょっと怠ったのではないかと思う。確かに台風などがあれば10年以内鳥居が倒れる可能性もあるが、最近まで盛んであった制度の跡地の描写ではない。

そして、十仏が宇治山田に到着したら、度会家行と会談することができた。外宮の一番上の神職だったし、上に言った通り伊勢神道を発想した人の一人だ。十仏によると、家行には「霜の眉、雪の鬚」があったそうだ。家行によると、外宮の神様は天照豊受大神で、月の神だったそうだ。日の神と一緒にイザナギとイザナミの間に生まれたとも言った。それとも、もう一つの説は、国常立命だったそうだった。それで、陰陽道で重要になる水気と火気の水気の神様だったそうだ。天照大神が火気の神様であったのは言うまでもないだろう。そして、見ずには消火能力があるから水気を上位にする説もあったそうだ。つまり、この解釈で外宮を内宮より上位に位置づけようとした。明治維新でこのような説は一切払拭されたのはいうまでもないと思うが、神道の中の他の伝説もあることは忘れてはならない。

最後に、参宮の心得についての話があった。二側面があるそうだ。一つは、外清浄で、身体には穢れたところはないことを表すそうだ。もう一つは、内清浄だった。それは、念珠を持たず、幣帛も捧げず、「心に祈るところなき」だそうだ。こう言ったのは、外宮のトップだったことを覚えた方がいい。要するに幣帛を拒否したのは、神社側だった。別経路でお金を貰う可能性は高いが、幣帛も祈りもなかった。これは、現在の常識と正反対だ。祝詞と幣帛は欠かせない。

この講座で、六年間続けて受講したので、繰り返された情報も少なくなくなったが、いつもこのような興味深い新情報が入るので、大変勉強になる。

それに、講義の最後に岡田先生が京都で入手した祇園祭の絵葉書を夏の挨拶として配ってくださった。楽しい講座とも言おう。

松本前大臣の辞任

失言のせいでまた大臣が辞任した。このような問題を作らないほうがいいと思うが、今回の失言の内容を見たら、ちょっと辞任したほうがいいと思ってきた。

なぜなら、表された態度には基本的な問題があると思うからだ。松本氏の発言で、被災地へ条件を設けて、命令を出すことだったようだ。しかし、大臣が国民に仕える任命だ。特に復興大臣が被災者に命令を出しては行けないと思う。これは大臣ではない。権利を持つ人は、覇権の下にある人に仕えるのは基本だと思う。権利が大きくなればなるほど、奉仕する義務も大きくなる。だから、先生が生徒に仕えるように、首相が国民に仕える。端的に、天皇が国民に仕える。勿論、指導することも奉仕の一つだが、指導すれば、奉仕であることを忘れては行けない。

松本氏がこのことを忘れたようだから、辞任したほうがいいというのは、私の印象だ。

論理力

論理力と言うのは、何だろう。今日の打ち合わせをきっかけにこの問題をちょっと考えた。「事実を把握して理解する能力、そして事実を説明する能力」と言えば、非常に基礎的で広い能力だよね。ある意味でそう言いたいのだが、広すぎて、論理力を具体的に定義しないだろう。漢字を見れば「論の理の力」をヒントとしたら、「言語で表されたことを理解する能力、そして言語で状態を表現する能力」だと言えよう。

しかし、こういえば、狭過ぎると思ってくる。なぜなら、言語で状態を表せるようになる前に、論理力を発揮して頭の中で整理する必要がある場合は多いからだ。この整理が言語の使用に先立つので、論理力を言語と定義的に結びついたら、この能力が論理ではなくなる。納得できない。

一方、実物の詳細のところを感知する能力は、事実を把握する能力の一部であることは否めないが、論理力の一部ではないと言いたい。目が不自由な人には、目に問題があるからと言って、論理力の障害がある証拠はない。しかし、視力に対応する詳細を感知することが大変難しくなると思う。それに、物事の理解には、記憶力が大きく貢献すると思うが、記憶力と論理力が異なると思うのは当然だろう。もちろん、記憶力は全くなければ、論理力を発揮することが無理になるが、問題の最初さえ覚えられないからだが、優れた記憶力と劣った論理力が一人に共存する状態は想像しやすいだろう。

言語は狭すぎれば、その代わりに「象徴されたこと」にすればいいだろう。(日本語には用語があるだろうが、私に分からない。)頭の中で言語にする前に脳の象徴構成を使うので、言語で表す為の整理がまだ論理力の範疇に当て嵌める。そして、記憶力を除外するために、論理力は、理解や表現のために、象徴を整理したり変化させたり能力だと言えるだろう。こういえば、脳の働きの全てにならないので、特定された能力を指す。

しかし、まだまだ非常に基本的で広い能力だよね。論理力は本当にそうだと私が思う。人間なら、或る程度論理力を持つのは決まっているが、鍛えたら何の仕事や生活をしても、役に立つと思う。この意見は、、哲学を専門とした経歴がある私には当たり前だろうが、それでも本当にそう思う。

執筆と真由喜

今日真由喜の幼稚園がやっと復活した。朝にバスまで見送ったら、内に帰って執筆にした。或る程度進んだが、また1500語を書いたものの、まだまだ残る。そして、真由喜の迎えたら、真由喜と遊ぶことになった。今、もう疲れてきたので、凄い早寝にするかなと思う。明日から普通の仕事が再開するからだね。