8月1日の神社新報で靖国神社の合祀についての訴訟で原告側が敗訴したという記事が載った。憲法で宗教の自由が保護されるので、当たり前だと思う。宗教に裁判所が関与するために、著しく社会福祉に違反する行為は必要だから、合祀することがそうではないのは明らかだ。人の気持ちを不愉快にする権利は、宗教の自由の必要な要素だ。
しかし、興味深い点があった。原告の一人は、合祀された韓国人だったそうだ。遺族ではなく、本人だったそうだ。靖国神社で戦没者の魂が祀られるのは周知の通りだから、終戦の時の混乱の中でこの人の名前が誤って戦没者として知らせられたことが分かる。それでも、神社側の主張は、合祀が一旦したら、取り消すことはできないようだ。この点で柔軟になったら、A級戦犯の合祀を取消すような圧力が益々強まる筈なので、理解できる。
それでも、この韓国人は靖国神社の現人神だというしかない。神社にいらっしゃって、(神だから、お参りするとは言えないね)「我が輩は神である。本殿に入らせろ。神職が付いて行かん!」と言ったら、どうすればいいだろう。本当に神だと信じたら、拒否する根拠はない。本殿は神の所だからこそ人間が入っては行けないが、ある人間はその神社の神であれば、本殿はその人のためのところよりほかならない。一方、靖国神社を敵とする人を一番聖なる本殿に入らせるわけにはいかない。その人は神ではないと言えば、合祀を取り消すこととはあまり違わない。祀られるのは、人間ではなく、象徴する霊魂であると述べたら遺族会の反発を招くだろう。問題にならない解決方法はちょっと見えないので、その人が丁寧に訴訟したことを有難く思うべきなのではないか。
神道の神学は曖昧で明らかにされていないことから、このような問題が発生するが、神学を絶対にしても問題が発生するので、このままでいい。