最近のイギリスでの騒動が日本でも報じられたが、イギリスで原因のついての論争がある。一方、違法な行為をすることを決めた人を厳しく罰するべきだという意見。他方、社会の構成で加害者にはほかの選択肢はほとんどなかったので、社会が反省するべきだという意見。
確かに加害者が犯罪の道を選んだので、それに対応するべきだとは否めない。私は、罰に基本的に反対するが、対応する必要は否定できない。しかし、悪道を選んだ人を個人個人で対応すれば、それは社会的な言い訳にすぎない。
たとえとして、交通事故を考えよう。事故があったら、運転士の責任を追求する。しかし、同じ道で1年間で事故が36回発生すれば、道の構造には問題がないか追究しないといけないのではないか。同じように、一人が犯罪を犯したら、その人の責任にしてもいいだろうが、今回のイギリスの騒動事件のように多数な人が犯したら、社会の構造を検討するべきだと私が思う。
悪道を選択するのは簡単で、正義の道は険しく茨の道であれば、犯罪を犯す人が多くなる。社会の構造を考えて、正義の道の選びやすくして、悪道を険しくするべきなのではないか。そして、後で罰を科してその選択肢を難しくしようとしても、効果はない場合は少なくない。正義でやりたいことを作ったり、違法なことをすれば、やりたいことを放置するしかない状況を作成したりすれば、犯罪を少なくすると思う。歴史的にみれば、この傾向は明らかだが、現在の先進国のような国でも効くかどうかは、それほど証拠されたらかわからない。それでも、基本的な社会的な対応としていいと思ってきた。