鎮守の杜の林間学園

先週の『神社新報』に夏休みに全国の神社で行われた子供向けのイベントの紹介とともに、論説でこのような行動についてのご意見もある。行動は多種多様だったようだ。新潟県で被災地の子供を招き、花火や流し素麵などのレクリエーションがあったし、神奈川県の横浜市で子供の書道と絵画を展示するイベントを催したそうだ。静岡県から第14回の子供参宮団が小学生100人以上で参宮したし、下関市で第61回の神社での林間学校が催された。それに、神職に子弟を対象とするイベントは長崎県と山形県で開催されたという。そして、論説にこのような活動は評価される。

論説で、このイベントの形式についての主張がある。「もちろん神社でおこなはれるさまざまな教室は、規模の大小に限らず、その対象とともにいろいろな形式があってよい。」私もそう思う。このような活動はとてもいいと強調したいし、論説で指摘される通り、神職の得意分野に重点を置くこともいいし、神社の御祭神や由縁に因む内容もいいし、それに地理的な環境などによって内容や形式を調整した方がいい。鎮守の杜は本当に森である神社で、森の中の活動はいいが、都会の中に鎮座する神社には木々が一本鎮守の杜になる場合もあるので、異なる形に余儀なくされる。このような物理的な問題は認めざるを得ないが、論説で自由な決め方が認められる。だから、経津主神を御祭神とする神社で武道に因んだ林間学校を開いたら相応しいが、天満宮であれば学問を中心とする学校でもいい。それに、地域のニーズに合わせることも重要だし、神社の教化活動の一環となることがいい。禊を重視する神社で、禊を紹介する内容はいいし、神楽を重んじる神社で、神楽入門をしてもよい。このようなことを各々の責任者に委ねたほうがいいのは明らかだ。

それに、神社神道の本質をよく表す表現も論説にあった。「独自の神学に基づいたものであってもよい。」との文章だ。神学まで自由にするのは、西洋の宗教では考えられないことだが、神社神道で当然なこととして挙げられる。これも、私の感覚に添う。

この論説と記事で、私が好む神道的な活動の一つの側面が見える。


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