大山阿夫利神社本社

門の後ろに銅製の鳥居がある参道の入り口
山への入り口
阿夫利神社本社が大山の山頂に鎮座するので、参拝する為に下社から歩いて山を登る方法しかない。私が参拝した五月に山の上はまだちょっと寒かったし、当日雲もかかったし、それに山の麓から歩いて行った為ちょっと遅く下社から出発したので、参道には人は少なかった。祭祀の時に賑わうそうだが、登山として優しいとは言え、散策として厳しいので、祭祀のピーク以外混まないかと思った。

下社の本殿の横に参道の入り口があるが、祓串が備わったし、安全のお守りもいただける。私が自分を祓ってからちょっと賽銭を納めてお守りを身につけた。そして、門をくぐって、鳥居から更なる参拝が始まった。鳥居をくぐったら急な石段を登るが、それから最後のところまで傾斜の山路で進む。進行が分かるように参道が20数分に分けられたし、途中でベンチなどがある休憩場が設けられた。それでも、下社から一時間弱がかかったかと思う。距離は遠くないが、かなり上がるので時間も体力も必要だ。

石段の上に立つ鳥居の奥に社殿が見える
山を登ったら
山頂にやっと辿り着いたら、石段の上に鳥居が聳える。その向こうに社殿が見える。五月に社殿は閉じられたので、参拝できたが、印象は余りなかった。もちろん、山頂までできた達成感があったが、神社自体の印象は、閉鎖された商店街かのようだった。もう一度夏に行きたいと思うが、活気がある神社を見たら印象が良くなるのだろう。

神社の直感は本当に不思議だと思う。阿夫利神社本社のように大自然の中で山頂に俗界と離れた場所に鎮座するものの、特に印象はないのに、下鶴間諏訪神社のように住宅地に鎮座する神社の印象は素晴らしい。霊力とすぐに言う人もいると思うが、私はそうではない。様々な微妙な要因があるので、印象の源泉をすぐに検出できるはずはない。だから、天気とか自分の気分とかゴミの状況などの普通の原因で印象が左右される可能性は充分あると思わざるを得ない。神社にお参りし続けたら、徐々に自分の印象の根拠が分かってくるのではないか。


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