自由主義と不安定

最近、生徒さんと一緒に1492年についての本を読んできた。その本の主旨は、1492年は世界の転換点だったということだ。その年からヨーロッパが貧乏な片隅から世界の覇権を握るようになった。でも、それは何故だっただろう。白人が優秀である説明はもう信じれないので、より説得力がある説明を探すべきだ。

地理的な要素も運もあると思うが、一つの重要な要因は、ヨーロッパの事実上の自由だったのではないかと思ってきた。中国や中東で当時の先進国があったが、覇権を握ることはできなかった。理由として、新しい方法を試そうとした人が権力者によって抑制されたからだと言えよう。一方、この自由がヨーロッパに覇権をもたらしたが、他方、波瀾万丈の歴史も孕んだ。

この二つを同時に見つめないと行けない。不可分だと思う。人を自由にさせたら、産業革命や情報革命のような既存社会や既得権を一変する変化が訪れることは確実だ。だから、安定を優先する政権が自由を抑えた傾向は妥当だと思わざるを得ない。役に立つ発明であっても、安定を重視にすれば、禁じるべきだ。ただし、中国でその結果が見える。19世紀にヨーロッパの国によって支配される状態に陥った。一方、日本が長い間安定を保護してきたが、事実を見つめて、慌てて社会の革新を実行した。明治時代の日本の変化は本当に凄まじいが、犠牲者も多かったし、結局国の破滅を招いた道を暴走した。

だから、社会の根本的な構造を考えたら、必要の要素の二つが見える。一つは、住民の自由を保つことだ。下克上を起こす行為でも、認めるべきだ。そうしないと、外国でそのような行為ができたら、窮地に追い込まれる。もう一つは、大きな変化を円滑に受け止められる社会を築くことだ。前にも述べたが、民主主義が両方に貢献する。自由を侵す政権が選挙で敗れるし、政権の交替が起こっても社会を混乱させない。民主主義だけは不十分だが、重要な要素であることは否定できない。

このことを言うのは簡単だが、実現するのは難しい。弱肉強食を避ける為に自由に制限を置く必要があるが、制限し過ぎたら利益も失う。変化を受け入れやすい社会を構造すれば、いつも変化して持続的にならないし、長期にわたる計画も実現できなくなる。それに、この二つの点に限ったら、負けものを捨てる社会になる虞れがあるので、慈悲も必要になるだろう。自由、柔軟、慈悲の3Jは重要だろう。でも、まず認めざるを得ないのは、自由を保護したら、社会が不安定になることは不可避であることだ。


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