国を誇る

何の国でも、人が「国を誇るべきだ」と強調したら、大半の場合国が犯したと言われる犯罪を否定する為だ。日本で南京事件だの、イギリスでインドの飢餓だの、アメリカで奴隷制度だの、このようなことが認められたら国を誇れないのは示唆される。

しかし、本当にそうだろうか。国の数百年、数千年の歴史は完璧ではない限り、誇れないのは本当だろうか。そうなら、もう絶望なのではないか。現代の基準ではかったら、日本の女性の扱いは悪質だったことは否めない。イギリスも同じだし、アメリカも同じだし、などなど。ここで、世界中の国々のいずれかの名前を入れてもいいと思う。では、国が犯した罪に目を潰す必要があるのか。それも不要だと思う。

国を本当に誇るために、国や国民の功績を掲げて、目の前に置いても充分なのではないか。どこの国でも、文化の成果を挙げることはできるだろう。一方、国が罪を犯したら、その罪を誇るわけにはいかないが、過去であれば特に恥じる必要もない。国の歴史を見極めて、過去の功績をこれからも繰り返せるように、そしてさらに輝くことができるように努めるし、過去に犯した犯罪を繰り返さないように努力するべきだ。

それに、誇りを国がいましていることに基づいたほうがいいと思う。過去の文明などを誇りの源泉にしたら、もう現代に何もできないし、何もすべきではないのように感じるだろう。学者の研究で過去の文明は実は他の国から殆ど輸入されたとか、隣国にも栄えたなどの発見で国の誇りが崩れるし、国民が事実に反発してしまう。嘘に基づいた誇りには価値はないだろう。

だから、自分の国を誇れればいいと思うが、それは過去に罪を犯したかどうかという質問とは全く無関係だ。国の歴史の事実が分かった上で誇るべきだから、功績も罪も明らかにするべきだ。国の過去には罪ばかりがあれば、過去に基づいて誇れないのは実状だから、これから誇れる行動を勧めるしかない。しかし、そのような国はあるのか。事実全般を認めながら、過去の功績の上に将来を構築することは、一般にいい愛国心の一種だと私が思う。


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コメント

“国を誇る” への3件のフィードバック

  1. 空のアバター

    全く同感ですね。

    国の誇り、というのは、未来を築きあげていくために、非常に重要な役割に果たしている。

    過去にこの国で、立派な人がいた、立派なことをしたというのは、単に過去の話ではなくて、それを未来につなげようとする営為の一環なのだろう、と思います。

    他方、注意すべきことは、
    1)だからといって、他国や他文化を卑下しないこと。
    2)過去の過ちは素直に認めること、

    ということでしょうね。
    前者だけでは、自己満足になるし、後者だけでも、マゾ的になる。バランスが重要なんでしょうね。

  2. 空のアバター

    失礼

    後者=過去の罪ばかり暴くことなど、

    目を潰す

    →目をつむる・目をそらす

  3. チャート・デイビッドのアバター
    チャート・デイビッド

    @空様、いつもありがとうございます。バランスは重要ですよね。過去にいい模範がないと失望することは多いでしょうが、過去の罪に目をつむれば、幻想に騙され将来にも間違える恐れがあります。

    ところで、表現の訂正をありがとうございます。何か違うかと思いましたが、調べる余裕はありませんでした。