『神社らしい支援策言挙げしよう』と言われたら

今週の『神社本庁』の論説の題名は『神社らしい支援策言挙げしよう』であるが、考えさせる内容だ。主旨は、宗教団体が単に資金を被災地に提供すれば、宗教不信の広がりに資するので、宗教らしい永続できる支援策を考えるべきだ。そうすれば、「具体的提言を数多く言挙げし、また論議していく必要があらう」。この言い方が勿論神道界の諺の「言挙げせず」に因むが、それより主旨に焦点を置くべきだ。行政などが物資などを提供できるが、心の支援をするのは苦手だという。確かに、行政から「孤独感を解除するための施策」と書いてある封筒が届いても、効果を期待しないだろう。一方、宗教団体でこのような絆を強めて、将来を拓くような行為もできないか、と。具体的な例は先週の『神社新報』である宮司さんが提案した祭の記録のプロジェクトを掲げたが、これは確かにいいと思う。特に当分の間祭が行えない神社で、祭の姿を記録したら、将来に復興できるようになる。これはいい提案だと私も思う。

しかし、私が個人的にできることではない。一方、前から考えていた支援策に、この弾みで決意した。

それは、被災地に鎮座する神社へお参りして、被災地復興祈願祭を執り行ってもらうことだ。もちろん、初穂料を普通よりちょっと多めにする。これには、重複な効果が期待できると思う。

先ずは、経済的な効果がある。被災地に旅すれば、現地でお金を使うので、経済の僅かながらの刺激になる。初穂料も同じく神社の経済基盤に貢献する。

でも、それより重要なのは、実にお参りして祈願祭を依頼すれば、東京などに住む人に忘れられていないことを示して、精神的な支援にもなると期待できるのではないか。もちろん、大きなことではないが、一人でできることには厳しい制限がある。

こうするために、現地の神社が分かることが前提になる。一宮に名乗る神社は少なくないので、あそこへ参拝するつもりだ。それに、福島県に高御産霊神と神産霊神を御祭神とする安達太良神社が鎮座するので、あそこにも参拝したいと思う。しかし、参拝者が受け入れられる神社の情報を入手するのは難しいので、現地の神社庁がまとめてウェブじょうで提供したらいかがでしょうか。具体的な計画と取り組むつもりだ。


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