初稽古

先週真由喜と一緒に日本舞踊教室の見学に行ってきたが、その結果真由喜が日本舞踊を習うことになった。今日、レッスンのタイミングを工夫して、真由喜を初稽古へ連れて行った。

幼稚園バスから降りたら、真由喜が「踊りのは楽しみにしていた」と言ったので、いい予兆だったと思った。バスや電車でちょっと眠くなって、お昼寝したが、稽古場に着いたら、すぐに目覚めた。他の生徒さんのお稽古が終わることを待っていた間に、真由喜が浴衣に着替えて、お稽古をじっと見つめた。(レッスンの時間の設定はないので、稽古場に行って、順番を待つ制度だ。)

お稽古する前に、真由喜が深くお辞儀して、「よろしくお願い致します」とはっきり言った。練習しなかった。向かっていた時に「最初に「よろしくお願いします」と言うよね」と真由喜が言ったが、何故より丁寧にしたか分からない。そして、藤間先生から扇子を貰って、お稽古が本格的に始まった。先ずは、挨拶の仕方だった。正座して、扇子を横に床において、そして手を三角を作るように合わせたら、お辞儀して「お願いします」だった。真由喜が上手に真似した。

浴衣姿の真由喜が踊りの最後のポーズをする
最後に、ポーズ!
踊りの稽古も同じだった。真由喜が一生懸命先生の言うことを聞いて、指導の通り振る舞った。もちろん一回目で踊りではなかったが、もう踊りの形が垣間見えた。そして、最後にまた行くことに積極的に賛成して、ご褒美シールを貰って、また着替えた。浴衣を稽古場で預かって貰うことになったので、幼稚園から直接に行くのが楽になった。

やはりこれから真由喜が飽きたり、文句を言ったりすることがあるが、最初は順風満帆だった。だから、このやる気を活かして、なるべく週二回にさせたいと思う。やる気が劣ったら、週一回の休憩をさせたらいいが、技を身につけたらすぐにより楽しくなる。だから、これからもレッスンの配置と取り組んで、私が週一回連れて行けるようにする。どれほど可能かは、これからの挑戦だ。とりあえず、今日真由喜は楽しく、私は大満足だった。

ジョッブズ氏死去

世界中の報道によると、アップルの創設者のジョッブズ氏が死去したそうだ。

対面したことはないのは言うまでもないが、私のパソコンはずっとマックだった。本格的に勉強や仕事のために買ってもらった初めてのパソコンは、1991年だっただろうが、マックだった。元々のデザインのままで、画面は小さかった。それから20年間、マックで本を書いたり、編集したり、授業の準備をしたり、働いてきた。今も、iPhoneで音楽を聞きながらマックでこの投稿を作成している。だから、私の人生にかなりの影響を与えた偉人だった。天才と言われるが、私も同意だ。運もあったが、天才にさえ運は必要だから、問題はない。それに、他の人には同じように運を与えても、同じ功績を残すことはできなかっただろう。発明した素晴らしい商品を枚挙にいとまがないが、世界にもたらした革命は、コンピューターを専門家の道具から大衆の日用品に変化させたことだろう。幸い、生前に本人がこの変化を実感できたと思ってもいい。

正直に言えば、予想できなかったインパクトがあった報道だった。

ご冥福を祈る。

平泉:一日目

日曜日から昨日まで岩手県に行ってきた。平泉に泊まって、観光をしたが、真由喜が一緒にいたので、余裕があるスケジュールにした。だから、二泊したのに、主な観光スポットにしか行けなかった。それでも、とても楽しかったし、真由喜も楽しんだようだ。

今日、帰って仕事が山ほどあるので、旅行を分けて投稿にする。

手前にはわんこそばが並ぶが、食器の柄の間に真由喜の顔が見える
大きく見えるわんこそば
日曜日から始めよう。早いスタートにせず、九時までに家を出て、電車や新幹線で平泉に向かった。真由喜はちょっと退屈になったので、遊ぶことに忙しかったが、特に問題はなかった。平泉駅にお昼過ぎて着いたので、最初にお昼を食べた。駅前に『駅前芭蕉館』というレストランがあるが、わんこそばは名物だから、食べる事にした。わんこそばには24個の小さな椀に蕎麦が入って、薬味といっしょに食べることだから、楽しくて美味しかった。真由喜も手伝って、蕎麦を私とゆり子に配ってくれた。

食べたら、ホテルまで歩いて行った。平泉の町並みは大変奇麗だから、散歩も楽しかった。駅から毛越寺までの道に面する建物の殆どは新しく見えるが、日本の伝統的な建築を倣うので、印象は良くて相応しい。そして、田圃も家の間にあるので、収穫の季節で干されたお米が人間のような形で立っていた。

泊まったホテルは、武蔵坊というホテルだった。毛越寺の隣に位置されて、大変便利だし、質も良かった。温泉があるが、二つの大浴場は入れ替え式で男女が交替する。朝に入れ替えるので、一泊すれば両方試せる。私は温泉の達人ではないが、悪くないと思った。真由喜には大変気に入ったので、何回も入ることにした。私が朝早く起きて、お風呂に入ってきたら、真由喜も起きて、「ダディーと一緒に入りたかった」と言って、また一緒に入ることになった。(それは真由喜の可愛い口癖だ。欲望を過去形にすることは多い。)夕方も入ったので、五回以上入った。

食事も美味しかった。夕食は和食で、ちょっと珍しいものもあった。例えば、小さなカニを丸ごと食べることもあったが、ゆり子がちょっと遠慮した。私が食べたが、また出たら食べる。わざわざ注文しないけれどもね。真由喜に出されたお子様食事も美味しそうだったし、寝なかった真由喜が二泊目に沢山食べてくれた。

それに、外国人の来客に慣れているようだ。英語の食事券が用意されるが、チェックインしたときに渡したら、謝った。私には英語の分は不要だからだったが、英語の分しかなかった、と。次の日に日本語の分を渡したし。それに、チェックインしたら、日本に住まいすることを確認した。それは、外国に住めば、旅券番号を記録する義務があるが、日本に住めばそれは不要だからだ。つまり、様々な外国人に対して様々な対応を取るので、本当の意味で慣れている。

一日目ホテルでくつろぐこと以外何もしなかったが、それでも楽しかった。後日に世界遺産の観光について書かせていただく。

祝・投稿2000突破

ブログのソフトによると、この投稿は第2000号だそうだ。毎日投稿したが、二回投稿した日は僅かながらもあったので、まだ2000日になっていない。この2000の中に、大変短い投稿もあるが、かなり長い投稿もあるので、合計の字数は何だろう。25万を上回ったのではないか。やはり日本語のいい練習になったが、これからの日本論理検定協会の仕事で日本語で原稿を用意する必要があるので、この練習が仕事にも役に立つようになった。

投稿の内容が多種多様だが、仕事の傍らに毎日投稿するために私の興味のあることや日常の出来事を活用するしかない。焦点はないので読者の数が伸び悩むと思うが、読んでいただいたら確かに嬉しいのに、ブログの目的ではないので気にならない。このブログは、書く為に書く。読んでもらう為に書くことになったら、内容をより絞って、広告についても考えなければならないが、このブログが目的を果たした。それに、読者もいるし、コメントもたまに書き込んでいただくので、予想以上の成果だと言えよう。

英語の作家の仕事に就いて言われるのは、100万語を書いてから書けるようになるのだ。日本語で、2字が英語の1語に当たると言えるので、日本語で200万字を先ず書く必要があることになる。五年間あまりでその1割になったので、日本語でちゃんと書けるようになることはまだほど遠い。だから、これでブログを止めるわけにはいかない。練習はまだまだ必要だ。

1万投稿を目指して、頑張ろう。