神社本庁で必死に進める行事は、神宮大麻の頒布だ。神宮「大麻」というのは、伊勢の神宮の御札のことだから、麻薬の意味は神社本庁で不味く思われるそうだ。神社本庁の基礎規則には、神宮大麻頒布が記載され、優れた成績を上げる神社や神社庁にご褒美が贈れることも指定される。「優れた成績」というのは、神宮大麻の頒布された体数によって決められるので、大量を出すように図るそうだ。噂によると、神社に眠っている大麻もあるそうだが、それは本当かどうか分からない。
家の神棚に神宮大麻が祭られているが、神道の宣揚を目指したら、神宮大麻頒布を指数にするのは間違いであると思わざるを得ない。神道的な思想や行動を何も示さないし、ただものを買うことに過ぎない恐れがある。それはそもそも失礼だから、頒布を促す前に尊敬する受皿を用意したほうがいいのではないか。お札は、神棚に納めて、祀ることだから、出発点は神棚と神棚と関わる行事の普及だろう。
確かに、個人的に神宮大麻を祀らなくてもいいと思うので、神棚の普及を別な方向から取り組んだほうがいいと言うのは当然だろうが、戦前の所謂国家神道を戦争の被害の責任を課して嫌う人は今も少なくないようだから、最初に「皇祖を中心に据えなければならない!」といきなり言い出したら、人がすぐに逃げてしまうだろう。そして、皇室や皇祖は、現在の生活とどのような関係があるのか、とも思われるだろう。自然環境との共存を主張してから神宮大麻や神棚を紹介する神社本庁の宣伝もあるが、関係は明らかではないので、説得力が欠ける印象だった。
一方、神棚の行事で同居する家族が集まって、家庭の絆を再確認して、強める行事として紹介されたら、これに魅力があるだろう。それに、感謝の心が神道に重要であると言われるが、感謝を表現する儀式を紹介したらどうだろう。家の簡素な「感謝すること」のような儀式でもいいし、一人暮らしの人でもできることだ。実は、一人暮らしの場合、毎日いいことを確認することは特に重要だろう。
そして、神棚には神様がいなければ、ちょっと変だろうと言えば、納得する人は多いかもしれない。だから、氏神様のお札を納めて、近隣の人たちとの絆を象徴するし、居住の界隈の繁栄も祈ることになる。これが自然に氏神様にお参りすることと繋がって、神道的な活動や本格的な近所の人との付き合いへの道にもなる。これに、地方を象徴する一宮や全国を象徴する神宮を加えたら、地理的な具体的な解釈になる。一方、抽象的な概念から行くと、自分が重んじる概念と関わる神様のお札を適切な神社から受けて祀ったらいい。
つまり、先ず神棚の習慣を普及するべきだと思う。それが普及すれば、おそらく神宮大麻の頒布が自然に増えるだろう。それより重要なことは、人の感謝の心や周りの人との絆が強まることを期待できる。これが社会に貢献するのは疑えない。