『よくわかる 祝詞{のりと}

先日の投稿で書いたが、前回白幡八幡大神でご祈祷を執り行っていただいた時、次回自分で祝詞を作成するように強く促された。挑戦したいと思うので、今祝詞作文について復習している。この本を始めて読んだが、参考になった。実は、祝詞作文ではなく、作成してもらった作文を神社で聞けば或る程度内容が分かるようになる為の本だと言ったほうがいいだろう。

祝詞の一般論をしてから、10世紀の『延喜式』の祝詞をルビ付きで書き下ろして、口語訳も語意の説明も添えた。大祓詞を読んだことがあるは言うまでもないが、祈年祭の祝詞も、出雲の国の造の神賀詞も、より短い祝詞も載っているので、それが勉強になった。それに、宣命も同じように紹介して解釈することがある。第四章には、能楽や地方祭や流刑になった神道家の独自の祝詞などが載るし、最後の「現代祝詞」には最近作成された祝詞が載る。

明らかになった一つの点は、作者の菅田正明{すがたまさあき}氏は神社本庁系ではないことだ。対立するかと言えば、そうでもないが、より広い神道の範囲から例を集めて、提供した。だからこそ参考になった。一方、最後にユダヤ・フリーメーソンの陰謀を信じたような人の偲び言が載って、いやな気持ちになった。その嘘が絶大な虐殺に繋がったので、意見の自由を尊重しても、強く批判するべき意見の一つだ。作者が信じるかどうかは不明だから、この点で本を捨てるわけはないが、評価を一変するような遭遇だった。

よりいい印象のところを挙げたら、第4章に在日韓国人の作家の金達寿氏が伊勢の神宮へお参りしたとき作られた祝詞だった。その祝詞の中で、金氏が著す文学が国と国の縁を結ぶように祈られた。菅田氏によると、ここで金氏の神宮のイメージが変わったそうだ。私も、これをいい祝詞だと思った。

菅田氏の主張の一つは、祝詞は原則として毎回新しく作る存在だ。祭祀の内容に合わせて、そして祈願者の状況にも配慮して作るべきだと言っているが、私もそう思う。人と人の繋がり、そして人と神の繋がりは、普遍的ではないし、均一でもないので、一つずつ作ったほうがいい。しかし、神社の酷い人手不足を考えれば、そして祝詞作文の必要な勉強や研修を考えれば、理想的な話だろう。大手の神社で、人が相次いでお参りして、すぐに神前に進みたがるので、新しい祝詞を作る余裕はないだろう。理想と現実の差を縮むような工夫を発見するように検討したいと思う。


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