折口信夫{おりくちしのぶ}の『大嘗祭の本義』〜神道を知る講座VII第10回

今日、國學院大學のオープンカレッジの神道を知る講座が今年度の最終回を迎えた。最終回の講師は岡田先生で、課題は折口信夫の『大嘗祭の本義』だった。折口氏が大正の大嘗祭と時と昭和の大嘗祭の時に大嘗祭を考えたそうだが、平成の大嘗祭の時に岡田先生も同じテーマを考えて、折口氏の結論を批判した。折口氏は國學院大學で重要な存在で、当時折口氏の弟子が現役の教授は多かったそうだ。だから、岡田先生の批判が取り上げられ、大きな話題になったそうだ。9月に出版された『天皇の歴史9 天皇と宗教』という本の中で、折口氏の説から岡田先生の説まで説明して、結局岡田先生の説に納得する。この説は、数年前に大嘗祭についての論争の講義で紹介されたので、紹介してから他の気づいたことについて語りたいと思う。

大嘗祭は、ご存知の通り、天皇陛下の即位祭だ。中世に一時停止になったが、持統天皇の御代から一代一度行われてきた。「大嘗宮」という大きなお宮を作って、二つの本殿の中で天皇陛下が御自ら祭を執り行われる。しかし、これは秘儀だ。原則として、天皇陛下がお一人で本殿にお入り、祭祀を執り行われる。だから、論争は祭祀の内容についてだ。大嘗祭の本殿の特徴は、真ん中には寝具が敷かれることだ。この寝具が祭祀に大きな役割を担う説は、折口氏の説だ。

日本書紀の一書には、天孫降臨の時ニニギの命がマトコオフスマに包まれたと言われる。折口氏によると、大嘗祭で皇太子がこの神話に因んで寝具の中に籠って、天津神の魂を受けることを待ったそうだ。寝具から出たら、本格的に天皇になられた。岡田先生の反対論の根拠は簡単だ。歴史的な証明はないことだ。むしろ、折口氏が死んでから公開された宮内庁の書籍には、平安時代の大嘗祭の詳しい描写があるが、あのとき寝具に触ることさえなかったそうだ。他の記録によると、神饌を供えるのは大嘗祭の一番重要な祭祀だったそうだ。要するに、説得力のある説だが、検証されていない。

これに対して、そうであれば大嘗祭は素朴な祭になると言う人もいるが、柳田國男もその一人だそうだ。しかし、私が賛成できない。それほど立派な宮を祭の為に作って、そして祭が終わったら壊したら、素朴な祭ではない。実は、折口氏のマレビト論を取り入れたら、神道の神様が遠いところから祭に旅した概念から大嘗祭の設定を説明できるのではないか。だから、素朴さを訴えて岡田先生の仮説に反論することは無力だと思う。

一つの興味深い点は、折口氏の書籍の冒頭に天皇への忠実を強調するところがあったことは、岡田先生が紹介した。昭和初期には、学論には危険があったからだと解いてくれた。今は、神社界の人に怒られても、それほどではないと言ったので、状況が本当に変わったと述べた。しかしながら、自分の講義を始める前に、岡田先生が折口氏の学問の高さを讃えて、折口氏に対する尊敬を強調した。折口氏の序文とあまり変わらなかったと言えよう。やはり、招く結果が変わるとしても、どの時代でも誤解されると不味いことがあるようだね。幸い、岡田先生が拘束される恐れはもうない。

もう一つは、岡田先生が折口氏の直感と発想を尊敬したのに、検証はないことを歎いたことだった。自分の研究方針について、折口氏の発想を見ながら自分の発想や直感に基づいて検証すると言ってくれた。これについて、ちょっと疑問を抱いた。哲学的な神道観念を発想すれば、直感や発想は充分だろい。内容を見て、本質を計ることはできるからだ。しかし、歴史的な事実について言おうとしたら、これは不十分だ。過去の人が実にどうしたかは焦点だからだ。その場合、検証するのは一番重要だ。

しかし、神道の場合問題がある。「言挙げせぬ」という表現を唱えて、神道が祭祀などの内容を記録していないことだ。過去の祭祀の内容を検証するのは極めて難しくなる。考古学で祭具や遺構が分かるが、祭祀の作法が分からない。或る程度推測できる場合もあるとしても、証明は固くない。残された記録も参考にできる。祭祀の指導はもちろん一番だが、屏風などの美術品や物語などの文学作品も役に立つ。そして、現存する祭祀を科学の手法を活かして比較すれば、形の進化を推測することも可能だ。特に、有数な神社ではない神社の場合、このような間接的な証拠しかないだろう。ちょっとやりたい研究だが、やはり現在の神道を研究して記録に残すべきだよね。少なくとも今の状況が後代に伝わる。

講義の最後に、来年度のテーマを紹介してくれた。平成25年には出雲大社の60年に一度の遷宮が終わるし、伊勢の神宮の20年に一度の遷宮も終わる。だから、来年度「伊勢と出雲の遷宮学」を課題とするそうだ。本当に楽しみにしているので、受講する時間があるように祈って止まない。