神社の観光

先週の『神社新報』の論説で、神社で参拝せずに観光する行為に違和感を示した。旨は、神社はただの博物館や史跡だけではなく、生きている宗教施設だから、否、神様の坐す聖域だから、ただの見物で入るのは失礼だから、境内に入ったり、伝統芸能を見たりしたら、参拝も加えるべきだと述べた。

気持ちがよく分かる。神社の境内で見物する前に、必ずお参りするので、忘れてはならない事である立場に同感を持つ。しかし、結局同意できない。

先ずは、無礼な行為と単なる観光を区別すべきだ。境内で適切な行動を守るべきだと強調しても間違いではない。確かに、神道の多様性のなかで、「適切な行動」を定義することはかなり難しいし、神社によって異なると思えるが、原則として問題はない。しかし、拝礼することが丁寧な行動を遥かに超える。

神社神道で、誰でも神様を拝んでもいい。他の宗教を持っても、差し支えない。神様に対して特定された行動に従って捧げたら、充分だとされる。一方、他の宗教や無宗教にはより厳しい制限がある。キリスト教徒やイスラム教徒であれば、多くの場合神社で拝礼したら、一番深い罪になる。珍しくない場合、殺人より酷い罪と看做される。他の神様を認めない事は、十戒の冒頭に立つ。だから、拝礼を条件とすることは、鳥居で止めて、自分の掲げる倫理を覆さない限り入らせない事と等しい。これが神道の寛容の精神を尊重しないので、これほど拘らないほうがいいと私が思わざるを得ない。

本殿から尊敬すべき人が行動を見ていると見立てて行動するように戒めてもいいだろう。子供が遊んでも、本当に尊敬すべき人が怒らないが、そのような人の前に喧嘩するのは恥ずかしい。より詳しく言いたかったら、神様の生活をちょっと明かしてもいい。縁結びの神様なら、カップルで歩く事を優しく見てくださるだろうし、商売繁栄に関わる神様がやり取りなどを認めてくださるだろう。それぐらい無礼しないことに賛成してもらったら、境内に入らせて、観光させてもいいと私が思う。