信者

今、『神社本庁規程類集』という本を読んでいる。これも、タイトル通りだから、規程が並ぶ。大変つまらないと思う人は多いだろうし、会計についての規程は面白くないことを認めざるを得ないが、実は興味深い点は多い。なぜなら、規程で少なくとも神社本庁の建前が明らかになるからだ。本音と建前が添う場合は多いと思うが、実践が違っても公式な立場には意味がある。

特に興味深い例を見つけたので、ここでちょっと語りたいと思う。私が読んでいる本は平成21年度版だから、改訂があった可能性があるが、平成21年度には有効だった規定だ。昭和23年12月8日の通達第33号(役職員進退に関する)『規程及び内規改正に関する件』で、次の通り書いてある。

階位取得については本人の宗教を制限しない

階位と言うのは、神職の資格を意味する。要するに宗教を問わずに神職の資格を取得することができる。誤解されないように、通達の趣旨は、資格を持って神職の候補者になったら、他宗教の信者であれば、神職になる前に改宗の誓詞を納める必要があることだ。通達で『神職としては当然神社神道の信奉者である』と明記されるが、どう考えてもこれは確かに当然だ。厳密に解釈すれば、無宗教の人が無宗教のままで神職になれるようだが、なりたいわけがないだろう。神社神道の神職になる為に神社神道の信奉者であることが条件になるのは、いうまでもないほど当然だ。

しかし、宗教を問わずに階位の取得を認めることは興味深い。別な内規で、神社本庁に属していない神社で奉仕すれば、階位を喪失することになるが、お寺で住職してもいいようだ。少なくとも、まだ障壁になる規則を見つけていない。さらに、カトリック教会で神父として奉仕してもいいだろう。(カトリック教会が問題視する可能性は高いけれども。)無宗教であれば、問題ない。

ここで、実践がちょっと違うと思う。資格取得の為の講座を受講するために、奉仕する神社と管轄する神社庁の推薦は必要だから、事実上宗教は神社神道ではなければ、階位を取得できないだろう。一方、事実上宗教は神社神道ではなければ、階位を取得したくなる筈はない、悪意を除いたら。

この規則の理由を推測すれば、神社神道で個人の宗教を問う行為を、最低限に抑えようとすることだろう。不可避になったら調べるが、それは現役神職になる時だ。その場合でも、明らかに異宗教信者である場合に限る。宗教は曖昧であれば、神職に申請する行動で充分神社神道に信奉することを表したと看做されるだろう。

本当に、西洋の排他的な宗教と対照的だ。キリスト教で、キリスト教の信者ではなければ、結婚式や葬式さえ執り行ってもらわないのは原則だ。普通のミサに参列するためにも、信者であることを証明する必要がある場合もある。(傍聴してもいいけれども。)神父の資格を取る為に、いや、牧師の養成講座に入学するために、キリスト教の熱心の信者を証明する必要は当然として捉える。やはり、神社神道を西洋的な宗教として把握しようとすれば、大きな誤解に陥ってしまう。


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