文明の役割

文明は何の為に存在するのかと考えたら、答えがすぐに思い浮かばない。経済成長が目標だと思われるようだが、経済成長は何故いいのかと尋ねられたら、生活が豊かになることなどを挙げるので、経済成長そのものは目的ではない。技術の進達も、経済成長と同じく結果の為に評価されるので、それ自体も目的ではなさそうだ。美術作品や文学作品は、文明の開花の証拠だと言われるので、平安時代の文明の役割は源氏物語を可能にすることだったと言えるだろう。この答えには説得力があると思う。源氏物語などは、永遠まで価値を持って、さらにその価値は他のことに貢献するからではなく、優れた作品としての存在そのものだ。

しかし、そう言えば、文明は大衆向けの状況ではなくなる。優劣を問わなくても、作品を産み出せる人は限られている。優秀な作品に焦点を絞ったら、産み出せる人は極めて少ない。そのような人以外、文明は無意義であれば、文明を目指すべきかどうかが疑わしくなる。文明に一般的な役割が必要不可欠だ。

これを考えて、最近提案に思いついた。

文明の役割は、人に時間の無駄使いを許すことだ。文明の進達は、時間の無駄遣いが許される人層の広さと無駄遣いできる時間の多さで計れる。

無駄遣いを評価することがちょっと耳慣れないかもしれないので、裏付けにちょっと書きたいと思う。先ずは、生き残るに精一杯の社会で文明はないことは明らかだ。食べ物を獲る為に全力を尽くす社会は、文明未開の社会の典型例だ。そして、文明の証拠であることを見たら、科学にしろ、技術にしろ、作品にしろ、効果が保障されない行動に時間を費やすことばかりだ。それに、新しい分野を切り開こうとすれば、周りの人にやることの価値を認めてもらう筈はない。千年前に物語を遊戯にしか評価しない人は多かったそうだから、紫式部に時間の無駄遣いが許されなかったら、源氏物語が存在しない。(それとも、紫式部の前に伊勢物語などを書いて、物語の価値を認めさせた人に時間の無駄遣いが許されなかったらそうだった。)科学でさえ、五百年前に使い道のない時間の無駄遣いに見えたが、結局大変役に立った。一方、太古から魔術に時間を尽くした人がいたが、それはまだまだ無駄遣いにしか見えない。でも、五百年前に科学と魔術の間の境は曖昧だった、否、境はなかった。

それに、個人レベルで考えても、自分の人生の目標を果たす為に時間は必要だ。他人がこの目標を認めないかもしれないので、時間を自由に使う権利は必要だ。つまり、時間の無駄遣いが許されないと行けない。私が自由を大変重んじるが、自由を活かす為に自由に使える時間は必要不可欠だ。このような時間から文明開花が生えるが、ただただビデオゲームで時間を費やしてしまう人も、文明の役割に依存して、文明があることを表明する。

誤解されないように、一つ追加点がある。個人で時間を無駄に使うべきではない。ただし、自分には価値がある使い方は、周りの人には無駄遣いに看做されることは多いので、社会の目で見ると、無駄遣いを許すべきだ。

だから、社会構造を考えれば、無駄に使ってもいい時間をなるべく普及することを一つの重要な目標にするべきだ。

幼児が習うべきこと

真由喜が幼稚園に通ったら、他の子と接するようになった。その子には、もう平仮名が全て読める子もいるし、書こうとしているこもいるそうだ。真由喜は、自分の名前を読むことはできるとは言え、平仮名はまだできないと言った方が正しい。しかし、それが気にならない。なぜなら、平仮名を覚えるに長くても一ヶ月しか必要ないからだ。つまり、平仮名の必要性を感じるようになったら、すぐに身につけられることだ。興味がもう芽生えているので、すぐに読めるようになりたがるのではないかと思うが、真由喜のやる気を待っても平気だ。

日本舞踊も同じ感覚だ。今集中して一つの踊りを上手にすることは難しいので、ある遊びとしてやっていると言えよう。また同じく幼稚園の一日を振り返ったら、真由喜が「幼稚園でいっぱい遊べた」とよく言う。それもいいと思う。

幼児として習うべきことは、学問ではなく、芸能ではなく、学問や芸能が前提とする基礎能力だ。それは、集中力、好奇心、忍耐力、自己管理力、解釈力、表現力などだ。このような力を強制的に付けさせることはできないので、導き出すしかない。好奇心は自然に湧いてくるので、抑制しない限り大丈夫だ。解釈力と表現力は、真剣に真由喜を相手にして会話すれば上達すると私が信じている。特に真由喜が自分の欲望を上手く表現できたら、叶えてもらうと真由喜が信じたら、上手く表現するように頑張るはずだ。表現できなかったら、叶えてもらう筈はないが、表現さえできれば叶うなら、強い動機になるのではないか。忍耐力は、ちょっと待たせることで育む。しかし、必ず言う通りにすることも重要だと思う。そうしないと、待てば貰わないと思うようになって、忍耐力が成長しない。これが自己管理力にも貢献するだろう。同じように、やりたいことをする前に必要な他のことをするように指導したら、自己管理力にも繋がると思う。集中力は、積極的に真由喜の難しいこととの挑戦を応援する行動で育めると思う。

真由喜が小学生になったら、学問と挑戦するので、その前に基盤を敷くのは大事だ。その基盤は強かったら、自発的に勉強するようになるし、苦しまずに仕方がない勉強もできるようになると信じている。

正しいかどうかは、三年後に分かるだろう。