本を作る時間

今、或る本の編集がやっと終わった。特に大きい本ではないが、六年間以上かかった。一方、数倍大きい本を一年間以内出来上がったこともある。この差をどうやって説明するかというと、速く作成できる作家とそうではない作家の差なのではないかというだろうが、実は作家は同じだ。編集者も、私で同じだ。勿論、速くできた本は、ぴ出来上がったので、練習の影響でもない。

実は、運だと言える。今出来上がった本の内容が、最初のところ、簡単に見えたが、実際にしてみたら、極めて難しかった。草案を作成して、感想を集めたら、一からやり直すことになった。そうしたら、もう一度根本的に作り直すことになった。三回目、加筆修正に止まってもいい程度だったが、まだ努力は必要だった。四回になったら、いよいよ訂正で済めるようになったので、訂正して、最後の編集ができた。一方、最初のところで難しく見えた本が草案のままでいい評価を集めた場合もかなりある。

出版してからの人気度はまた別の問題だ。

やはり、本の仕事は、予想し難い仕事だ。だから柔軟に対応できる環境を整えるのは必要だ。では、これから次のプロジェクトと挑戦しよう。

福島第一原子力発電所の自己の原因

今朝のNHKニュースで、東京電力の福島第一原子力発電所の事故についての自己調査の中間報告で一号機の冷却装置が津波直後に停止されたのに、幹部などがまだ動いていると誤って認識したことが報道された。事故の拡大の原因の一つとしてより詳しく調べる方針だそうだ。

確かにいい影響を与えなかったようだが、私はこのような態度に同意できない。このようなことを調べることは、自己の「原因」を特定するためで、そして責任者を特定したり、再発防止策を定める為だと思う。しかし、この目標に役に立たないと私が強調したいのだ。

自己の原因は予想外の津波だった。それほどの天災があったら、慌てて対応しようとする人間が完璧にする可能性はゼロだ。IAEAの調査結果は、現場の対応はよかったということだったが、過失などはないようだ。実にあった誤りは偶然だと言えるが、何かの誤りがあるのは確実だ。だから、今回の誤りを原因とするのはただのいじめに過ぎない。そのような誤りを不正でも、次回別な誤りが起こるに違いないので、事故防止と繋がらない。再発防止策を構えるために、地震と津波が起きる前の状況を見て、津波があっても危機にならないように工夫するしかないのだ。なぜなら、危機に陥ったら、人間が謝るのは確実だからだ。ミスから原因を得る大事故を避ける為に、人間に落ち着いた状況を与える必要がある。そうすれば、効果のある工夫がある。

だから、必要な対策は、30メートルを超える津波に襲われても平気である原子力発電所を構造することだ。

もちろん、詳細を調べたら、無駄ではない。水位計器には不具合があったそうだから、地震や津波があっても平常通り動く水位計器を作るためのヒントを得られれば、役に立つ。この小さい問題を避けやすくすれば、危機の災害への展開を免れる可能性を増す。しかし、頼りにならない。そのような措置に頼る状態に陥ったらもう遅い。

特に、命をかけて現場で自己を最低限に抑えようとした人を東電の幹部の形代にするべきではない。

就職祈願

今日、日本論理検定協会の仕事が正式に始まる。それに当たって、白幡八幡大神でご祈祷を執り行ってもらった。月曜日に書いたように、今日の祝詞は、私が書いた祝詞だった。それでも、ご祈祷がいつものように始まった。お祓いの後で、神職が台に上がって、神前で祝詞を奏上した。祝詞奏上の間に、集中して、どうやって訂正されたかを聞こうとしたが、変化は大きくなかった。後日にいただけるそうだから、その時に詳細を見る。それは学ぶ方法だよね。そして、私に玉串を渡したので、私が玉串拝礼を行った。

それで終わると思ったが、神職が「台に上がって、報告してください」と言った。文字通り慎みながら台に上がったが、神前に正座したら、二回深くを礼をして考え始めた。私が、祝詞でこの報告の役割を済ませるつもりだったと思ったので、追加の報告を用意していなかったからだった。ちょっと考えたら、つい祝詞の形に則って、願いや目標を伝えようとしたが、あまり上手く行かなかっただろう。言いたいことが言えたので、大丈夫だったが、視聴者はなかったことは有難い。神様の寛容に拠るしかない。

祭祀が終わったら、控え室で神職とちょっと話し合って、祭詞の例文を一緒に見たり、私の祝詞の内容や言葉について話したりした。これも、勉強になった。

よく考えたら、神職に必要な能力は多種多様だ。祝詞作文もあるが、宗教法人の代表責任者になるので、事務の雑用も重要だ。掃除は勿論、紙垂の作成も必要になるし、祭祀で作法にきちんと従う手振り身振りも不可欠だ。そして、宗教者だから、人が問題を持ち運ぶそうだから、心理学なども必要だ。収入が能力に至らないと思わざるを得ない。