自由と可能性

私は自由を重視することを何回も述べたが、今日可能性との関連についてちょっと書きたいと思う。

自由を測るために、本当に実現できる選択肢を数える方法は悪くない。私は、月に行くことができないので、月に行く自由を事実上持たない。この視点から見たら、社会の構成に影響がある。

先ず、違法とされる行為は可能な選択肢ではないと看做す。確かに罪を犯すことは可能だが、法律には期待される力があれば、そのような行為は実現されないので、選択肢として数えないほうがいい。行為によって、不可能にすることはいい場合もあるので、これは法律の批判ではないが、自由の制限になることを認めるべき。

そして、合法の行為の為の必要の要件はなかったら、それも選択肢から排除する。お金はなかったら、自由が縛れる。同じように、時間はなければ、選択肢を実現することはできない。だから、前に書いた通り社会の目標として人に自由に使える時間とお金をなるべく与えることを挙げるべき。

でも、何かをするために必要な時間や費用をなるべく抑えることも望ましい。なぜなら、時間やお金にはいつも制限があるので、ある行為に長い時間がかかれば、できることが圧縮される。例えば、現在アメリカを訪ねるのは殆どの日本人にとって可能な選択肢だ。ちょっとお金がかかるが、時間的には連休でできる。仕事をちょっと休めば、たっぷりできる。80年前に、舟に乗って渡海する必要があったので、数週間休まないと行けない。その結果、殆どの人が行けなかった。

これで文明の本当の進行が見えるだろう。一般人に事実上実現できるの可能性を増やす。選択肢も増やすし、人生で実現できる数も増やす。


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