先週のNatureで捕鯨についての提案がある。主旨は、絶滅の恐れのない捕鯨の量を定めて許可を配ることまでごく普通だが、それに加えて配られた許可の売買を可能にする。目標は、鯨を助けようとする人や団体が許可を買い上げたら、鯨が死なないが、許可を持った捕鯨団体には収入があるので、経済的な打撃はない。一方、Greenpeaceなどの団体は、今の運動費より小額で鯨を助けられるようになるようだ。鯨の獲得を減らす効果は期待できそうな政策だから、いいのではないかと思う。
ただし、Greenpeaceなどが反対することは予想できる。なぜなら、制度の基本は鯨を獲得する許可だ。その団体の立場から、それは殺人許可と等しいので、認めるわけにはいかない。結果は死ぬ鯨が多くなることでも、制度を擁護するのは難しいだろう。
或る立場から見たら、これは馬鹿に見える。目標は、鯨を生きさせることなら、鯨の死ぬ数を減らす方法を選んだ方がいいのではないか。それはそうだが、もう一つの目標がある。それは、人間の鯨に対しての態度を変えることだ。鯨は、食べてもいい動物ではなく、人間のような存在として捉えてほしい。このような殺す許可を売買する制度は、鯨を使用してもいい態度を強化すると思われるだろう。
人間の場合、同じようなことは分かりやすいだろう。奴隷の制度を廃止しようとすれば、奴隷を買って自由にする権利を確保する法律を歓迎する筈はない。人間を所有することこそに反対するからだ。だから、これは簡単な問題ではない。
私の考え方は、死んだ鯨は甦らないので、鯨の命を守る政策を認めたほうがいいのではないか。捕鯨が少なくなったら、あとで態度の改善に努めたらいい。今鯨の命を鯨の資格を代償として買ったら、将来にいい態度を取る為の鯨がまだいるだろう。