参拝マナー

1月23日付の『神社新報』の論説が初詣の服装の問題を指摘した。お正月はハレの日だから、晴れ着を着るべきだと述べたが、興味深いコメントもあった。普段は、若者の無礼を嘆くが、最近若者がインタネットなどで適切な礼儀を調べて、或る程度礼儀作法を正しくする傾向は見えるという。その代わりに、中高年がスポーツウェアなどで参拝して、単なる観光かのように振る舞うと嘆いた。無礼の問題は若者ではないと指摘する記事は珍しいので、面白かった。それに、いいことだと思う。典型的な話と異なれば、現実を把握した証拠になる。

しかし、失礼な中高年に対する態度も考えさせられた。問題の原因を二つに大別できると思う。

一つは、知識不足だ。つまり、神社の参拝で何を着るべきか、どういう作法をするかは、分からない。この場合、社頭の看板や手水舎に掛かる案内板に説明したらいいだろう。服装について、その場で着替えて改めることはできないので、帽子を外して、リュックなどを手に持ってくださいということはいいし、一番好ましい服装を紹介するポスターなどもあったらいい。しかし、声をかけて、服装を批判するべきではないと思う。恥をかけずに改める機会を与えたほうが親切で効果的なのではないか。

もう一つの原因は、神社をそもそも尊敬しないことだ。情報があっても、従う動機はないので、案内板などで動作を是正させることはできない。このような人をどうすればいいだろう。

もちろん、境内から追い払うべきではないと思う。むしろ、親切に受け止めて、質問に応じて、ある意味歓迎するべきだ。そうすれば、「神道」という宗教を尊敬しなくても、目の前の人間に配慮する人は殆どだから、神社の関係者の気持ちを考えるようになるだろう。他の人の参拝を妨げる行為をしたら、注意すべきであるのはいうまでもないが、ただ参拝の作法に従わずに不適切な服装で境内をうろうろして写真を撮る行為だけであれば、寛容したほうがいいのだろう。神社で冷たい態度と会ったら、神社に対して友好な気持ちが湧くはずはない。神社には罰する権力や拘束力はないので、誘導するしかない。

それは、観光客の気持ちで境内を踏む人に限らない。初穂料を封筒に入れて捧げるべきことも、封筒も用意してその場で教えることができる。そして、初詣や祭で、適切と認める服装をする人には、優遇を与えることもできる。例えば、別な列で、より早く参拝できるようにするとか、昇殿参拝を許すとか、そして奉納芸を見る為のいい場所を用意するなど。このような制度を広告すれば、服装を正す人もいると思える。

絶対にしてはならないことは、「常識」を唱えて訴えることだ。神社での作法はもう日本人の間でも常識ではないことは周知の通りだ。この現実を変えようとしたらいいが、今のところ神社を尊敬するべきも、作法も、共有常識ではない。


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