フィクションと言論の自由

フィクション、即ち架空な話、がどういうふうに言論の自由と絡むのかは、私が考える問題だ。一方、表で「フィクションだ」といえば、名誉毀損などにはなれないし、製作の提案でもない。他方、小説やテレビドラマが文化に影響を与えるとも思わざるを得ない。架空な話だと知っていても、人間が影響を受けることを証明する心理学の実験成果は多い。

言論の自由から考えたら、原則として禁じてはならない。小説、漫画、アニメなどで、何でも許すべきだと思う。実写の場合、合法で造れる限り、許すべきだとも思う。(このところ、フィクションの内容を制限とする法律以外を考えて、合法である場合を考えている。)でも、これで社会に悪影響を与えるフィクションが許されるので、対策も考えたほうがいい。

措置として、消費税を特別に上げたらいいと思う。これは、酒税やタバコ税のような措置だ。例えば、ルールを違反する作品には、消費税が事実上50%になる措置を具体案として考えよう。このことは、作者が事前に分かるので、作品の計画を立てる時に影響がある。要するに、制限された内容は作品の概念には必要不可欠であれば、作品の値段が高くなることに覚悟して作る。他方、制限された内容は必要ではなければ、避ける方法を探る。特にテレビドラマや映画で、制限された内容を避けることが原則になるが、作品の性質が優れたら、何のないようでもいいと設定すると思う。つまり、値段が50%上がれば、それなりに性質があるべきだと思うことが普通になる。

制限の内容としても、提案がある。作品が違法な行為を描写すれば、措置の対象になる規程だ。「描写する」は「指摘する」と違って、違法行為の内容を細かく披露することだ。例えば、刑事物で強盗殺人の犯行を写ったら、対象になる。他方、犯行の後の犯行現場を写ったら、対象にならない。犯行の詳細が明らかになったら、対象になるが、犯人の動機などが明らかになっても、対象にならない。動機そのものは犯罪ではないからだ。

措置の内容をこれにすれば、利点がある。それは、社会の態度が変わったら、フィクションの制限も自然に変わることだ。何かが合法になったら、描写しても対象にならない。他方、何かが違法にされたら、自然に制限の対象になる。

これ以外の制限を課さないほうがいいと思う。行為は合法であれば、フィクションで描写することも合法にするべきだと思う。

もちろん、この方針を導入したら、画期的な変更になる。基本的に、暴力は違法で、性交は合法だから、普段に許される内容が一変する。しかし、社会が禁じるほど嫌う行為を制限することは当然なのではないか。客観的に考えれば、変なのは、むしろ現状だ。


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