石都々古和気神社

ツツコワケ神社の巡拝の最後の神社は、石都々古和気{いわつつこわけ}神社だった。馬場都々古別{ばばつつこわけ}神社から水郡線{すいぐんせん}にまた乗って、15分ぐらい北へ向かった。もう夕方になっていたし、道がはっきり分からなかったし、寒くなっていたので、駅でタクシーに乗って神社へ向かった。

石都々古和気神社の心に残る印象は、宮司さんと奥様の大変親切な態度だった。着いたらすぐにお茶とお菓子を出してくれて、雪の状態を説明した。話し合いの結果、正式参拝を社務所に付く祭場で行うことにした。正式参拝で、宮司さんが大祓詞を奏上してから、私が玉串を奉った。

亀の形の石。
亀石。右後ろに立つのは、屏風石。
それから、もう少しお茶を飲んでから、長靴を貸してもらって、宮司さんと一緒に境内を見に行った。石都々古和気神社が丘の上に鎮座するが、昔から山岳信仰と関わるところだそうだ。一万年位前からの祭祀遺跡があると言われるが、丘には磐境{いわさか}が沢山残るという。神社の周りにはそのような磐は多いので、このことから「石」都々古和気神社と呼ばれるのだろう。雪を冠る磐は印象的だったし、夫々に名前がついているようだ。亀石という磐は、本当に亀に似ているし、舟形石も舟の姿をした。宮司さんによると、昔舟形石の上で鹿骨の占いを行ったそうだ。山に三種の神器の鏡、剣と勾玉の磐があるので、神宝は勢揃い。

境内の山には紫陽花や桜は多いので、四月中旬や六月下旬にはとても奇麗だそうだ。そして、雪のない日に、気軽に歩ける山だから、気持ち良さそうだった。雪の中でも住民が散歩する面影があった。神社の隣にお城の跡が公園になって、桜が色々な種類で生える。枝垂れ桜もあるし、勾玉石の上に樹齢170年の「天竜桜」も聳える。

社殿の隣に石造の五重塔が建つ。塔と言うのは、仏教の建築であることはご存知の通りだから、神社の境内に見つかるのはちょっと珍しい。宮司さんによると、昭和時代に創建されたそうだから、神仏分離の前からの名残ではなく、信仰の続きと関わるようだ。前に述べた通り、この神社が山岳信仰と関わったそうだが、山岳信仰には神仏習合色は特に濃かったので、この神社の信仰にも残ったと思ってもいいだろう。

雪のある石段の上、鳥居と社殿それでも、今のところの御祭神は味鋤高彦根命{あじすきたかひこねのみこと}大国主命{おおくにぬしのみこと}誉田別命{ほんだわけのみこと}だそうだ。誉田別命は八幡さんの別名だが、社伝によると、誉田別命が1066年にこの神社に勧請されたそうだ。勧請したのは、八幡太郎の源義家{みなもとのよしいえ}に仕えた石川有光{いしかわありみつ}だったそうだが、勧請の前から神社があったことは確かだ。式内社でもあると言われるし、延喜式は10世紀前半に編纂されたからだ。しかし、現在の例大祭の日にちは、誉田別命の合祀に因んで執り行われるそうだ。このような現象は珍しくないようだ。即ち、後世に勧請された有力な神様が土着の神様より権威を握るようになる場合は多い。想像に難くなかろう。

山から下りたら、宮司さんの奥様が暖かい牛乳を用意してくれたし、駅へのタクシーを呼んでくれて、そしてタクシー券を下さったので、駅までのタクシーは無料だった。本当に親切に扱ってもらった。この神社も、夏になったらまたお参りしたいと思うが、今年は無理だろう。それでも、温泉郡に近いし、桜も奇麗だと思うし、新幹線と水郡線を使ったら交通も不便ではないので、可能なのではないかと思っている。