快復の道

今日、まだ快復に向かっている。昨日の夜になっても酷くはなかったし、今日のレッスンは少ない方だったので、レッスンをキャンセルしないことになった。他方、他の仕事をしていない。レッスンの合間にゆっくりしている。

実は、ブログで書きたいことがあるが、今日頭の中でなかなか整理できない。政治とか、家族の重要性と社会構造とか、長い将来を考えさせる方法など、書きたいテーマは充分ある。でも、整理できない限り、投稿しない。病気である間にできないは驚くほどでもないね。

インフルエンザとの戦い

私は、先週からインフルエンザと戦ってきたようだ。先週の木曜日に発熱があったが、金曜日にちょっと治まったまた仕事ができた。土曜日もそうだった。でも、週末、即ち日月に、一瞬も休めずま平日に入ったら、水曜日夜にまた38.9度の熱が発生した。従って、木曜日を休ませられたが、今日ちょっと元気になって、また仕事と挑戦したが、失敗かな。今、明日のレッスンを丸ごとキャンセルして、三日間休むかと思っている。やることはいっぱいで、休む余裕はない一方、すぐに快復しないと益々ダメになる。

病気は悩ましいね。

石都々古和気神社

ツツコワケ神社の巡拝の最後の神社は、石都々古和気{いわつつこわけ}神社だった。馬場都々古別{ばばつつこわけ}神社から水郡線{すいぐんせん}にまた乗って、15分ぐらい北へ向かった。もう夕方になっていたし、道がはっきり分からなかったし、寒くなっていたので、駅でタクシーに乗って神社へ向かった。

石都々古和気神社の心に残る印象は、宮司さんと奥様の大変親切な態度だった。着いたらすぐにお茶とお菓子を出してくれて、雪の状態を説明した。話し合いの結果、正式参拝を社務所に付く祭場で行うことにした。正式参拝で、宮司さんが大祓詞を奏上してから、私が玉串を奉った。

亀の形の石。
亀石。右後ろに立つのは、屏風石。
それから、もう少しお茶を飲んでから、長靴を貸してもらって、宮司さんと一緒に境内を見に行った。石都々古和気神社が丘の上に鎮座するが、昔から山岳信仰と関わるところだそうだ。一万年位前からの祭祀遺跡があると言われるが、丘には磐境{いわさか}が沢山残るという。神社の周りにはそのような磐は多いので、このことから「石」都々古和気神社と呼ばれるのだろう。雪を冠る磐は印象的だったし、夫々に名前がついているようだ。亀石という磐は、本当に亀に似ているし、舟形石も舟の姿をした。宮司さんによると、昔舟形石の上で鹿骨の占いを行ったそうだ。山に三種の神器の鏡、剣と勾玉の磐があるので、神宝は勢揃い。

境内の山には紫陽花や桜は多いので、四月中旬や六月下旬にはとても奇麗だそうだ。そして、雪のない日に、気軽に歩ける山だから、気持ち良さそうだった。雪の中でも住民が散歩する面影があった。神社の隣にお城の跡が公園になって、桜が色々な種類で生える。枝垂れ桜もあるし、勾玉石の上に樹齢170年の「天竜桜」も聳える。

社殿の隣に石造の五重塔が建つ。塔と言うのは、仏教の建築であることはご存知の通りだから、神社の境内に見つかるのはちょっと珍しい。宮司さんによると、昭和時代に創建されたそうだから、神仏分離の前からの名残ではなく、信仰の続きと関わるようだ。前に述べた通り、この神社が山岳信仰と関わったそうだが、山岳信仰には神仏習合色は特に濃かったので、この神社の信仰にも残ったと思ってもいいだろう。

雪のある石段の上、鳥居と社殿それでも、今のところの御祭神は味鋤高彦根命{あじすきたかひこねのみこと}大国主命{おおくにぬしのみこと}誉田別命{ほんだわけのみこと}だそうだ。誉田別命は八幡さんの別名だが、社伝によると、誉田別命が1066年にこの神社に勧請されたそうだ。勧請したのは、八幡太郎の源義家{みなもとのよしいえ}に仕えた石川有光{いしかわありみつ}だったそうだが、勧請の前から神社があったことは確かだ。式内社でもあると言われるし、延喜式は10世紀前半に編纂されたからだ。しかし、現在の例大祭の日にちは、誉田別命の合祀に因んで執り行われるそうだ。このような現象は珍しくないようだ。即ち、後世に勧請された有力な神様が土着の神様より権威を握るようになる場合は多い。想像に難くなかろう。

山から下りたら、宮司さんの奥様が暖かい牛乳を用意してくれたし、駅へのタクシーを呼んでくれて、そしてタクシー券を下さったので、駅までのタクシーは無料だった。本当に親切に扱ってもらった。この神社も、夏になったらまたお参りしたいと思うが、今年は無理だろう。それでも、温泉郡に近いし、桜も奇麗だと思うし、新幹線と水郡線を使ったら交通も不便ではないので、可能なのではないかと思っている。

お遊戯会と個人面談

真由喜の年少さんの経験がもうすぐ終わる。あっという間に過ぎ去った一年間だが、真由喜にはいい経験だったと思う。日曜日にお遊戯会が開催されたし、昨日年度末の個人面談があった。私がお遊戯会に参加できたが、昨日の個人面談が仕事と重なったので、ゆり子の報告でわかった。

先週、真由喜がインフルエンザを患ったが、ぎりぎり土曜日にお医者さんから登園許可を得たので、真由喜が舞台に立つことができた。ゆり子のお母さんも見に来てくれたので、四人で日曜日の早朝の登園に行った。病気のせいで、真由喜が最後の練習や総合練習に欠席したが、参加には前向きだったので、問題なく先生に預けた。

そして、ピュアトマトとして舞台に現れた。真由喜のコアラ組の女の子は皆ピュアトマトになって、男の子がピーマンマンになった。踊ったり、好き嫌い黴菌と戦った。真由喜がずっと積極的に身振りしたし、最後の練習に参加しなくても皆と一緒に動いた。やはり、数週間練習を続けてきたので、ちょっと欠席しても大きな問題にならなかった。それに、3歳や4歳の児童ができるような振付けだったので、難しくなかった。

午前部の遊戯の全てを見たが、よくできたと思う。衣装は、親がよく作ったし、先生が練習を上手に監督したようだった。大きなハプニングはなかったので、数人はちょっと消極的だったことが一番の問題になった。そうすれば、大成功だったのではないか。もちろん、真由喜は積極的だったのは嬉しいけれども。

で、昨日の個人面談だ。ゆり子によると、簡単だった。先生が「心配することもないし、特に相談したいこともない。真由喜はとてもいい子だよ」と言ったそうだ。幼稚園で真由喜がいつも積極的に取り組むし、先生の言うことを聞くし、甘えずに自立した姿勢で行動するそうだ。集中力もよくて、想像遊びは大好きだそうだ。真由喜が一人でずっと喋ることもあるという。

これは、ほぼ家と同じだ。ゆり子が「言うことを聞かない」と言うが、それは4歳児の可能性を上回る希望を抱えているからだろう。その瞬間で従わないのは確かだが、ちょっと辛抱したら、してくれるのは普通だ。積極的な性格も、集中力も、想像遊びも、全く変わらない。唯一の相違点は、幼稚園で甘えないことだ。家で、私によく甘える。でも、それで甘えに満足して、不安を感じなくなって、幼稚園に元気よく行って、甘えずに遊べると私が思う。4歳でまだ甘えたいのは当然だから、家で甘えたほうがいい。

もちろん、この個人面談は嬉しい。真由喜は幸せそうだし、家の子育て方針で集団生活の支障が生じていないようだ。このような個人面談がながく続くように。